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杜に想ふ 正月らしさ 神崎宣武

平成29年01月30日付 5面

 今年も新年を迎へた。おめでたいことである。
 「正月らしさが年々薄らいできてゐる」
 さういふ人も少なくない。とくに、年配の人がさう感じてゐるやうだ。
 初詣では、それなりににぎはふ。雑煮もお節料理も、それなりに食べられてはゐる。が、正月にあらたまる、その意識が全体的に乏しくなってゐる。と、いはざるをえないところが目につきだした。
 たとへば、門松を立てたり注連縄を張ったりする家が少なくなった。
 私の観察にかぎったことだが、門松は東京の下町でもっとも顕著な正月準備であった。かつては、家並みに、ビルの玄関先にも門松が立ってゐた。さうでないまでも、門松の絵札が貼られてゐたりした。それが、ほぼ半減した。といふのは、門松立てを請け負ってきた鳶職の親方である。
 そこでは、あくまでも松が主役である。
 いふまでもなく、門松を立てるのは、「歳神」を迎へたしるしである。古くは、畿内から中国地方にかけての村里では、「松下し」といって、一家の主人が山から松の枝を手折ってきてゐた。歳神は山頂に在るとしての神降しにほかならない。その歳神の依代である松を門口に立てた、とみるのが妥当であらう。
 「歳魂」(年玉)も、本来は歳神の御魂分けの意。かつては、年始に回ると小餅をもらってゐたものだ。都市部では金銭の包みが先行してゐたが、日本全体で年玉袋が一般化したのは、戦後も経済の高度成長期からのことである。
 元日の朝の「若水汲み」は、多くは水道の普及とともに途絶えることになった。それによって、朝一番に「福茶」を家族で祝ふしきたりも後退した。
 これは、調べることはむつかしい。が、元日の朝に新しい下着をつける、といふ習慣もなくなったのではあるまいか。
 正月らしさが薄らいだ、といふのは、さうした「あらたまる」意識が乏しくなった、といふことだらう。
 時代の流れ、といへばそれまでだ。あへて原因を探ると、ひとつには、「数へ年」を祝はなくなったからではないか。かつては、昭和二十年代ごろまでは、何かにつけて満年齢よりも数へ年をとりあげてゐた。したがって、正月には誰もが一つ年齢を重ねるのだ。ゆゑに、皆が一様にあらたまって、おめでたかったのである。
 もう、時代を戻すことはできない。しかし、歳神も歳魂も福茶も数へ年も、死語として葬ってはならないだらう。それを語り継ぐことをしなくてはなるまい。かつては、祖父母が孫たちに語り継いでもゐた。現在、その関係性も稀薄になってゐる。ならば、地域社会のなかで。そこで、ひとつには、私ども神職の役目にもなってくるやうに思へるのである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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