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論説 正月の終はりに 伝統の心をいかに伝へるか

平成29年01月30日付 2面

 間もなく一月も終はりを迎へるなか正月行事は一段落しつつあり、編輯部には取材や情報提供などを通じて全国から正月の状況に関する情報が集まってゐる。おほむね天候に恵まれた三が日の初詣参拝者数は、ほぼ例年通りといはれ、社頭では人々が真摯に祈りを捧げる姿が見られたやうだ。
 総じて例年通りといはれる社頭ではあるが、年齢・年代層や参拝時間の変化、マナーのあり方などさまざまな観点からの話も仄聞する。さうしたなかで目立ったものは「朱印希望者の増加」「再拝二拍手一拝といった作法の徹底」「一人あたりの神前祈念の長時間化」「世代間のマナーの格差」等であった。
 かうした指摘はここ数年間において変はらぬものであるが、一つ一つの報告を仔細に検討すると、神社界のみならず信仰や伝統文化についての現代的傾向が読みとれる部分があるやうに感じられる。それは、幼い頃から家庭や地域のなかで信仰に関する営みを直接には体験せず、成長後に新たに得た知識を基本として、それを表層的になぞる形で行動するといふことだ。



 もちろん模倣から信仰に入ることも重要であるが、多少の違和感を覚えるやうな事例もある。例へば朱印希望者の増加についていへば、これまでは「参拝・拝礼の証としての朱印」とされることが多かったが、現状では「朱印集め」が主たる目的となり、極端な例では拝礼をおこなはずに「集める」行為のみに奔走してゐる場合もあるといふ。
 これまで家庭生活や地域社会のなかで伝承され、また当然と考へられてきた神仏に対する畏敬の念。それを涵養するやうな機会を実際に体験することなく成長した人々が、ネット空間に氾濫する情報を通じて知識を得て、皮相的に真似て行動を始めた結果、自らの興味・関心のみを優先させてゐるともいへるのではなからうか。
 「朱印集め」を一つのきっかけに、神社との関はりや神々への信仰を深め、昇殿参拝や神棚奉斎、また地域の祭礼組織への参加などに繋がることを期待するものだが、さうした結びつきをいかに講じていくかが神社関係者にとっての課題の一つであらう。



 また正月行事に関はり注目されることの一つに、正月飾りについてのある事例があった。飾り付けをする日また取り外す日は、その家々の伝承や地域の慣習に基づいてをり、最終的には「どんと」「左義長」などと呼ばれる行事を通じて「お焚き上げ」がおこなはれてきた。宅地化などによって「お焚き上げ」が困難となった地域などでは神社に納める事例も多いが、ある神社では自治体指定の「可燃物」のポリ袋を用ゐて正月飾りが納められ、そこに「鏡餅」なども入ってゐるといふ。
 正月に供へた餅を食さず、あくまで「処分する」といふ認識に基いた行為が平然となされてゐるのだ。「撤下品を食す」といった基本的な知識さへなく、注連縄などの正月飾りと同様に扱ったのであらう。食物を廃棄するといふことは、正月飾りの目的や供へたものの扱ひといふ次元を越えた行為でもあり、これも形だけを真似て、その意味を考慮しない行動の一つといへるのではないか。



 「世代間のマナーの格差」については、若年者に比べて年長者のマナー欠如を指摘するものがいくつか見られ、鏡餅を粗末に扱ふ先の事例も、年長者によるものだったといふ。もちろん即断はできないが、戦後、ややもすれば伝統・文化を軽視するやうな風潮のなかで育った世代ともいへるであらうか。さうした実体験を欠いた人々が、食物を廃棄するやうな行為に及んでしまふとも考へられる。
 一方の若年層に関しては、いはゆるネット空間などで知識を得ることで、比較的マナーは良いといふ指摘が多い。だがいづれにしても幼少期からの実体験をともなはず、いささか慇懃無礼ともとれるとの声も聞かれた。正月といふ「ハレ」の期間を終へて日常を迎へていくが、かうした人々がさうした差異を理解してゐるのかといふ疑問も併せて指摘できるのではないか。
 初詣をはじめとする正月行事は神社への関心を高める機会ではあるが、神社関係者としては、そのなかで垣間見られる変化をただ漫然と見過ごすのではなく、細かな事象をいかに認識し、どのやうな手段を講じていくのかが問はれてゐるのである。

平成二十九年一月三十日

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