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論説 本庁設立記念日 力強い確かな一歩を

平成29年02月06日付 2面

 二月三日、神社本庁は七十一周年の設立記念日を迎へた。
 昭和二十一年のこの日、敗戦にともなふ神社関係諸法令の廃止により、神社本庁は設立を余儀なくされたのである。爾来七十一年、決して短いとはいへない歳月を重ねてきた。設立当初を知る人々は僅かとなり、さらに当時の事情を直接に伝へ聞いた人々でさへ第一線を退きつつある。本庁設立七十周年を経て、新たな一歩を踏み出すべき今年、その「一歩」はいかにあるべきなのか。先人の思ひを改めて顧みつつ現状を見つめ直し、将来に向けたあり方を考へる機会としなければならない。



 その本庁設立に尽力した葦津珍彦はかつて当時を振り返り、「占領中に神社組織が分断分裂されて、日本精神が影もなく外力によって破砕されるのを、できるだけ回避するため、ともかく大合同しての戦災バラックを必要と感じた」「『神社本庁は、占領下のバラックで、新しい理想の大道は、独立後に固める』といふのが、初期先人の悲壮な心境だった」と述懐(『神社本庁の四十年―若木庁舎によせて―』、昭和六十二年)。そして、この文章の末尾を、「私どもが『神社本庁は占領中の仮バラックだ』と云ったのは、建造物件のことでなく、精神構造の問題だった。私は、本庁の諸兄に切望する。あの占領中の悲しき日に、占領下精神的バラックで風雪をしのぎつつ、他日、堂々たる信仰的大神殿を建設したいと祈ってゐた創立者の悲願を銘記していただきたい」と締め括った。
 この葦津の回顧からでも、すでに三十年が経過してゐる。「先人の悲壮な心境」「占領中の悲しき日」「創立者の悲願」等々について、今いかに認識すべきなのか。斯界関係者の一人一人が自らに問ひ直すべきであらう。



 斯界をめぐる内外の現状を見れば、まづは昨年八月の「おことば」をめぐる問題があり、政府では「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置して対応を検討。すでに一部報道によって即位礼や大嘗祭の日程までがまことしやかに伝へられてゐる。
 加へて、それこそ斯界先人の悲願とされてきた自主憲法制定に関しては、安倍晋三首相が先の施政方針演説において、「憲法施行七十年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる七十年に向かって、日本をどのやうな国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めよう」と積極的な姿勢を示してゐる。
 また神社本庁では昨年、過疎地域における神社の活性化と本宗奉賛活動の推進について検討を開始。このうち過疎対策については新たな施策が形になりつつあるが、同じく昨年から対応が図られてゐる直階宮司代務者の今後を含めた後継者問題、そして神職の資質なども含め、未だ課題は山積したままだ。皇室・国家をはじめ本宗・神社のこれから、そして日々の神明奉仕のあり方に至るまで、斯界としていかに考へるべきかが問はれてゐるのである。



 終戦直後から葦津とともに斯界に尽くし、神社本庁事務局長なども務めた澁川謙一は晩年、葦津の「本庁バラック論」に触れて、「誰かがやらなければ、今後、神社本庁といふものの存在意義がなくなってしまふ。仮バラック建築からきちんとした新たな理想の本建築を、百年経たうが、二百年経たうが、みんなの力で建てていっていただきたい」と訴へた(『神社本庁の再構築を―次代に託す神社界の行く末―』、平成二十四年)。さうした思ひを受け継ぐなら、眼前に迫る今日的な課題への対応はもちろん、神社・神道のこれまでの歩みを踏まへつつ、神社本庁のあるべき姿を再検討するやうな、腰を据ゑた議論も必要だらう。
 もとより、いかに将来に向けた大きな目標を掲げても、その実現のために求められるのは、関係者一人一人における、目立たなくとも地道な努力の積み重ねであることはいふまでもなく、神社本庁の設立以来の歴史こそさうしたものであっただらう。まさに内憂外患の今、新たに踏み出す一歩をいかに誤りなく、かつ力強い確かなものとするのか。すぐに目に見える成果を出すことも重要だが、たとひ迂遠に見えたとしても将来に向けた礎石とすべく、人材・制度・組織などしっかりとした基盤構築にも意を注ぎたい。

平成二十九年二月六日

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