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杜に想ふ ちゃぶ台返し 坂上也寸志

平成29年02月13日付 5面

 某国大統領の言動が世界中を震撼させてゐる。政治経験はおろか軍を含む公職経験をまったく持たない人物に、果たして大統領職が務まるのか。就任前からそんな不安は囁かれてゐた。今のところはそれが的中したかの観がある。
 ニュースで報じられる過激で挑発的な言動が、どのやうな意図のもとに発せられてゐるのか。私のやうな市井の人間には到底、わかるはずもない。おそらくは深慮遠謀があってのことだらう。だが、たとひ大統領個人の利益ではなく、国家国民の利益を目的とするものであったにせよ、今の手法のままでは国家の威信さへも損なふやうな事態にまで発展しさうな雲行きである。
 ある雑誌にこんな記事が載ってゐた。大統領は「情報機関が付け込みたくなる心理的特徴をぞっとするくらゐ多く持ってゐる」と……。その特徴たるや「強烈なエゴイストであること」「自分以外の人物や権力を軽んじること」「道徳やルールを尊重しないこと」「自分が君臨しないと気が済まないこと」などなど。いづれも的外れでないやうに感じられたのは、これまでの報道によって形成された私の個人的偏見に因るのかも知れない。
 ところで、「ちゃぶ台返し」といふ言葉がある。準備が整ったものや順調に進行してゐる物事に介入して、振り出しに戻してしまふことを表現する慣用句である。強権を与へられたトップに限って認められる行為で、大統領就任初日のTPP離脱表明は、関係国にとってはまさに「ちゃぶ台返し」以外の何物でもなかったのではなからうか。
 今ではダイニングテーブルに取って代はられて目にすることも少ないが、かつて「ちゃぶ台」は家族団欒のシンボルだった。漫画『巨人の星』で主人公の父親・星一徹がそれをしてゐたくらゐだから、当時の日本では頑固オヤヂの代名詞だったに違ひない。私とて幾度となく夕餉の時、父の「ちゃぶ台返し」に遭遇し、泣く泣くその日の晩飯を諦めた思ひ出がある。
 ただ、私の印象に強く刻まれてゐるのは、その時の空腹感ではなく、その前に何があったのかを一瞬にして忘れさせ、原因をも不明にさせる衝撃力であり、連続する記憶と時間をいとも容易に切断してしまふその破壊力である。
 そして今、私がかう記すのは、何もそれが現下の国際関係に見られる極めて特異な光景ではなく、ごくごく身近な社会においてもとみに目にするやうになった現象だからである。
 営利を追求する会社組織であれば、収益確保のために敢へて会社を破産させることもあり得よう。だが、国家は単に営利追求の手段ではなく、大統領個人の自己欲求を満たすための組織でもない。それは神社も同様だらう。神社の将来に禍根を残す「ちゃぶ台返し」は誰もがもう見たくないはずである。
(大学講師)

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