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杜に想ふ 「食」の記憶 涼恵

平成29年03月13日付 5面

 最近、ある居酒屋で食事をした時のことである。体調が優れなかったせゐもあるのか、料理を註文しようとメニューを見ても食べたいと感じるものが見当たらない。数人でお店に入ってゐたので、食べ物の註文は任せ、飲み物だけを頼んだ。しばらくすると料理が運ばれてきた。私が贅沢になってしまったのか……、どうも箸が進まない。本能的に、食べたいと思へなくて、困ってしまった。
 罪の意識を感じながらも、ふと疑問が湧いてきた。本来、日本人の食文化は、素材の味を楽しむ調理が好まれてゐると思ってゐたのだが、揚げ物は衣が分厚く、サラダにはドレッシングが溢れんばかりにかかってゐる。これでは素材の味が隠れてしまはないか。
 かうして意識してみると、スーパーやコンビニに並ぶ食材も加工食品や調味料も添加物が入ったものばかり。わたしの知人には、酷いアレルギー体質の人がゐて、化学調味料が入ったものを一口でも食べると、身体中に蕁麻疹が発症する。でも、そんな彼は二十歳を過ぎるまではカップラーメンばかりを食べてゐたといふ。
 今の時分、花粉症に悩まされてゐる人の数も年々増えてゐると聞く。実は食による影響も密かにあるのではないかとの思ひがよぎる。
 また別の機会で、会食に招かれた時のこと。そのお店では出雲の食材を扱ってゐて、どの料理も素材の味がはっきりと感じられる。締めに「うちで一番の御馳走です」と言って、出されたのが、仁多米と十六島の岩海苔のおむすび。素朴で深い味はひ……。ちゃうど食に関して疑問を抱いてゐた私には衝撃的な美味しさだった。
 店長にお話を伺ふと「DNAレベルで日本人としてたまらなく美味しいものを追求したい。手を加へて美味しくなる料理の範中を超えた素材の味。究極の贅沢は御先祖様も旨いと食べてゐたものを受け継ぐこと」。そして笑ってかう付け加へた。「でも本当に美味しいものって市場に出回らない。地元で消費しちゃふからね」。
 平成二十五年には、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されてゐるが、この背景として、日本の四季や年中行事など、和食が土地の歴史や生活風習に密接に関はってゐることが評価されたといふ。料理そのものが登録されたわけではない。「旬の味はひや素材の旨みを嗜むこと」これも一つの文化なのだ。
 今の時代では食材も調理法も多種多様にありすぎて、本当は感じてゐる以上に身体は良いもの悪いもの、美味しいものに、敏感に反応してゐるのではないか。その小さな声に耳を傾けたい。お米を研ぎながら、そんなことを考へてゐた。稲とはまさに“命の根”。空腹を満たしてくれるだけでもありがたいのに、炊き上がった一粒のお米の美味いこと……ただただ頭が下がった。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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