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杜に想ふ 学び舎の桜 八代 司

平成29年04月17日付 5面

 東京九段の靖國神社にある気象庁の標本木が東京での開花を告げると、各地での春の訪れがニュースで放映され、日本列島が桜の花で染まり始めた。
 振り返れば遙か昔、地方の大学を卒業して上京したとき、初めての花見は靖國神社であった。同じく上京した大学の友人や、職場の同期とともに杯を交はしたのは、外苑の参道中央にある大村益次郎の銅像のまさに真下の基壇上であった。現在では植ゑ込みが綺麗に整備され、その側にさへも近寄れないが、若気の至りとして御海容いただきたい。
 さて、近頃、久しぶりに帰郷をして、驚いたことがあった。それは、私の母校である中学校の新校舎のこと。
 私の故郷は昭和二十九年、戦後の町村合併により近隣の六カ村が統合して町として誕生した。以来、町制施行十年となる昭和三十九年、その建設現場をめぐって往時は猛烈な反対運動こそあったが、統合中学校としての新校舎が総工費一億六千万円で完成した。
 当時の資料には、町の出身者で町外在住の有志から整備資金の寄附があったことが記されてゐる。芳名と出身地区名と、東京や横浜といった大都市圏の現住所とともに職業として「浴場業」が多数見られ、高度経済成長期を支へた地方出身者の郷土愛を想へば実に感慨深いものがある。
 ちなみに、町制十周年記念式典と祝賀行事は、町のステータスシンボルともいふべき統合された中学校の落成式も兼ねておこなはれ、中学校グラウンドでは町内各地から集まった四十基の神輿が乱舞する渡御があった。往事は政教問題などと口喧しくない時代であり、当然の如く、神事もおこなはれた。私の師である産土神社の老宮司からは、神輿を奉飾するための大量の榊を用意するのに苦慮したとも、統合によって学び舎をともにしたことで、それまで年に一度の秋の大祭では喧嘩も多かったが、顔馴染みが増えたことにより次第に喧嘩も減ってきたとも聞かされた。
 さて、その母校も近年は過疎と少子化の波のなか、平成の町村合併によって同じ市となった隣接する旧市町立中学校との統合が懸案となり、先述の校舎も老朽化したことによる耐震問題がさらに統合への拍車をかけることともなった。しかしながら地域住民の熱望により統合こそは免れて、この春からは、これまでの校舎の程近くで、平成元年に竣功した町役場の旧庁舎の一部を改修して新たな学び舎とし、新入学生を迎へての新学期となった。
 建設当時は県下随一を誇る体育館と近代施設であった旧校舎は施錠されてひっそりとし、グラウンドの片隅の老樹には薄墨色の桜が咲き初めてゐた。“教育目標”の「めざす生徒像」には「広い視野に立ってふるさとを愛する生徒」と掲げられてゐる。願はくは、少人数ながらも、郷土を愛する心を新たな学び舎でも培ってもらひたいと思ふ。
(まちづくりアドヴァイザー)

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