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論説 憲法施行七十年を迎へ 国会の改憲審議の停滞打破を

平成29年05月15日付 2面

 日本国憲法は、今年五月三日に施行七十年の節目を迎へた。人生でいへば「古稀の祝ひ」をなすべき時ではあるが、憲法に関する限り「憲法記念日」を祝ふ気にはなれないのである。
 それはなぜか。一国の憲法にとって最も大事なのは、その制憲史である。その憲法がどのやうにしてできたかを知ることが、憲法の持つ精神的権威を決定づけることになるからだ。
 明治二十二年に制定された大日本帝国憲法は、元年(慶応四年)の「五箇条の御誓文」を受け、自由民権派の要望も十分取り入れて政府が草案を作り上げ、明治天皇のもとで審議をおこなひ、欽定・公布された。国民は一滴の血も流すことなく、万民歓呼して受け入れたものであった。制定後も、不満や改正の声はほとんど出てこなかった。終戦前の十年ほどの間、その解釈・運用に誤りがあったとはいへ、近代的憲法としては「不磨の大典」としての精神的権威が終戦時においても存在してゐた。



 ところが敗戦占領下で、不幸にもこの帝国憲法が改変を余儀なくされることとなった。全面的に改められて誕生した日本国憲法は、制定時「新憲法」と呼ばれたが、最初から多くの疑念や不自然さが付きまとってゐた。しかしその批判は一切許されず、米軍を中心とする連合国軍総司令部(GHQ)の絶対的権力の下で、やむなく政府もマスコミや識者も新憲法礼讚に走り、その反動で帝国憲法は不当にも全的に否定されたのである。しかし、わが国が独立して主権を恢復するとともに、神社関係者をはじめ、日本人としての気概と良識を持った知識人や政党人などから、新憲法の無効論や全面改正論などが吹き出してきた。現憲法は、日本側の改正案がすべて拒否された後に、マッカーサー総司令官の命令により、二十数人の米人の手によってわづか一週間余で、しかも英文でその草案が極祕裡に作成されてゐて、それが日本政府に手交され、翻訳されて日本側の原案となっていった過程が次第に明らかとなった。一国の憲法として、このやうな制憲史の弱みを宿し、その上、前文や条文内容においても米国人の当時の意図が埋め込まれた現憲法が、独立国日本の憲法として、精神的権威を持ち得てゐないのは改めていふまでもなからう。



 はたして現憲法が施行されて八年後の昭和三十年には、自主憲法制定を掲げて現在の自由民主党が結党された。以来六十有余年を経ても、内外情勢も国民生活も激変したにも拘らず、今日までただの一条の改正もみてゐないのは異常で非常識といふほかなからう。その最大の障壁が、GHQによって与へられた改正要件の厳しさにあったことも明らかだ。選挙制度のせゐもあったが、歴代の自民党総裁は衆参の両院で同時に改憲の発議に必要な総議員の三分の二の勢力を確保することができなかった。それが安倍政権のもとで、昨年の参院選の結果やうやく初めて実現したのである。今こそ憲法改正実現の好機だ。このチャンスを逸すれば、近い将来に改憲の機会は望み難くなる。
 残念ながら、衆参両院には改憲の発議に向けた憲法審査会が設置されてゐるのに議論は遅々として進展してゐない。今年に入って衆院ではまだ三回の開催に過ぎず、参院はゼロの状態だ。発議権は国会にしかないのだ。まったく無責任で怠慢といふほかない。




 この国会の審議停滞を打破して活性化し、国民的議論をも喚起するため安倍総理・総裁がつひに動いた。具体的な改正項目として、当初から改憲の本丸と見做されてきた「憲法九条」を敢へて第一に取り上げる覚悟を示し、東京五輪が開催される「二〇二〇年」を施行の年にしたい、との自らの意思を表明したのである。神社本庁も参画してゐる民間憲法臨調が、美しい日本の憲法をつくる国民の会とともに開催した五月三日の公開憲法フォーラムでは、自民党総裁として、「九条一項、二項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」と、さらに踏み込んだ発言をビデオメッセージを通じておこなった。
 九条三項として「加憲」される自衛隊規定の文言や、それと残置される一項、二項との解釈関係などがこれから議論されることになるだらう。これを機に、緊急事態条項の重要性などと併せ、具体的な改正項目の絞り込みの議論に、国会の憲法審査会が入っていくことを大いに期待したい。
平成二十九年五月十五日

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