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杜に想ふ 主食について考へた 須浪伴人

平成29年07月03日付 5面

 先日、とあるテレビドラマを見てゐて気になった。主食とは何だらう。何をいまさら、そんなもの日本人にとっては米に決まってゐるだらう。アメリカ人ならパン、イタリア人ならパスタ。いまどき小学生でも知ってゐるぞ、と言はれさうだが、本当にさうだらうか。
 ドラマの主人公はとにかく食べることが大好き。「ハラが減った」のセリフとともに地元のうまい店で食事をし、その食べっぷりが番組人気の一端を担ってゐる。疑問に思ったきっかけは、主人公が肉料理を食べてゐる際の「白いご飯が食べたくなる」の一言だった。
 豚肉とキャベツの味噌炒めは、多くの人にとって白飯と最強の相性だらう。主人公の感想に全力で同意したのは言ふまでもないが、そこでふと「この場合、米は回鍋肉のおかずではないのか」との考へが頭をよぎった。米をおいしく食べるためにおかずを食べるのか、はたまたその逆か。
 繰り返しになるが、そもそも主食とは何か。日本人にとってのそれが米であることは、おそらく誰も否定できないだらう。だが、主食といふ概念そのものが他国でも通じるかといふと、経験上うまくいった例がない。
 アメリカ滞在中に食事の話題で「staple food」といふ言葉を使った。主食の英訳とされてゐるのだが、案の定通じなかった。日本の食事における米の位置づけを説明したところ、今度は「それならアメリカ人にとってはハンバーガーだな」と返ってきたから、やはり通じなかったやうだ。
 もっと近場で、例へば中国はどうか。日本人の感覚からすると同じく米を主食としてゐるかのやうな印象だが、中国人の友人曰く「日本みたいな主食? ありませんね」ださうだ。これらはあくまで個人が経験した範囲だが、どうやら分類的には主食であっても意識として主食であることを実感してゐる民族は少ないのかもしれない。
 何にしろ、日本人には明確な主食としての米があり、その愛着たるや世界的にも珍しい。米を米としておいしく食べることに心血を注ぎ、十万円を超える炊飯器が売られてゐる国など他にない。
 一方で、米の消費を維持するために米粉を使ったパンが推奨されてゐるが、それは一般にイメージされる「主食」としての米に対する扱ひなのだらうか。米を米として食べずに日本の食文化は安泰と言へるのだらうか。いや、もしかすると、米はすでに日本人の主食ではなくなりつつあるのかもしれない。などと偉さうに書きながら、今朝はパンを食べてきた。申し訳ない。
 兎にも角にも、田植ゑが一通り終はった田んぼには、将来の主食たちがきれいに並んでゐる。新米の季節には「やっぱ日本人でよかった」と言ひたいものだ。未来の日本人にも同じやうに感じてほしい。
(神職・翻訳家)

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