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杜に想ふ 日本酒で乾杯 神崎宣武

平成29年08月21日付 5面

 「日本酒で乾杯推進会議」といふ活動団体がある。
 平成十六年の発足。日本のよき伝統を失ひたくない、と、日本酒造組合中央会が中心になって立ち上がった。「日本酒で乾杯」を標語として日本文化のルネッサンスをめざす、と趣意書にうたった。
 私もその趣旨に賛同して、発足当初から会議の運営評議員として参加してゐる。
 これまで、毎年フォーラムをおこなってきたが、そこでは信仰や和食や芸能などをとりあげて“日本のかたち、日本のこころ”を論じてきた。そのほかにも、さまざまな活動を続けてきたが、そのひとつに日本酒で乾杯デジタルフォトコンテストがある。今年で七回目。応募が活況をおびてきた。
 過日、その審査会がおこなはれ、私も、審査委員のひとりに加はった。
 応募点数は百六十二点。若い人たちの応募が多かった。結婚披露宴で新郎を囲んで枡酒で乾杯する仲間たち。キャプションに「最高の笑顔」とあるが、けっしてわざとらしくない。「五〇年お疲れ様」といふ写真は、勤続五十年を労ふ席で娘さんが酒を注ぐ、そのはにかんだ笑顔のアップ。これも、演技臭がなくてほほゑましい。「村の鹿島様の祝い」では、田植ゑが近づいたころ鹿島様(道端の石像らしい)に供へた酒を通りすがりの誰でもが飲み交はす、といふ習俗が秋田県下に伝はることを教へられた。老年の男女が盃を少しだけ上げて乾杯する、その姿勢や表情が好ましく思へた。
 しかし、いはゆる「自然体」を人前にさらすのは、むつかしいことである。現代では、むしろ演出・演技が過剰の気もみられる。応募作品のなかにも、それが少なくなかった。
 神事の場では、慎ましさが求められるのは、いふをまたない。応募作品のなかに、神輿渡御の出発前に安全を祈願して御神酒をいただく光景が三点あった。大勢だからか、紙コップで。これは、いたしかたない、としよう。しかし、それも目線までは掲げてからいただくのが作法といふもの。うち一点に、御魂遷しをおこなったあとであらう神職の姿があった。彼だけが両手でうやうやしく盃(紙コップ)を掲げてゐたのは、さすがであった。
 とりわけ神職は、酒を前にしての姿勢には注意が必要である。いはずもがなのことだが、直会の席だけではない。その後の無礼講の席でもさうである。応募作品のなかに、装束(格衣)のままあぐらをかいて、隣の人と肩を組まんばかりにくつろいで酒を飲む姿があった。烏帽子も少しずれ上がってゐる。目の前には、神社名の入った白磁徳利。審査員のなかには、その明るさからか入賞作品に推す声もあったが、私は、断乎反対した。
 上座にあって酒を飲む。その大人ぶりをあらためて見直さなくてはならない時代となった――今回の私なりの総評である。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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