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杜に想ふ 人工知能に想ふ 須浪伴人

平成29年09月18日付 6面

 ロボットが葬儀で読経するといふ記事を目にした。個人的には不気味と感じる風貌のロボットがお経を読み上げ、さらには説法までしてくれるといふ。一緒に掲載されてゐた写真を見る限り、ロボットの醸し出す雰囲気は必ずしも葬儀の場に相応しいものとは思へなかったが、もしかするとすでに受け入れられる世代がゐるのかもしれない。
 こんなものが考案されるのはさすがにアニメ先進国の日本だけだらうと思ひつつも外国の例を探してみたところ、驚いたことにドイツではすでに祝福機能を備へたロボット神父が開発されてゐた。ルターの宗教改革が始まった国・ドイツが、まさか機械化でも先行してくるとは。
 しかし、ロボットの読経で参列者が満足するのか、あるいはクリスチャンにとって「祝福」がどれ程の重さや意味を持つのかはわからないが、機械がおこなって良いものなのだらうかといふ疑問は残る。
 いづれにせよ、どちらの例も、まさか本当にこれで神仏に願ひが届いたり加護が受けられたりするとは思ってゐないだらう。いや、思はないでほしいのだが……。
 ロボット絡みで言へば、昨今は人工知能の技術開発が目覚ましく、一部では将来的に人間の仕事が奪はれてしまふのではないかとの不安も聞かれる。これまでにも多くの人間の仕事が機械に取って代はられた歴史があるのだから、その不安は無理もない。
 おそらく、世の中には機械が肩代はりできる仕事がまだまだ多くあるだらう。さらには、以前は単純作業しかできなかったロボットが、いまや人工知能によってある程度まで自分で「判断」して結果を調節できるやうになってきた。最近では作曲や執筆までこなす人工知能もあるさうだから、将来的にはこの欄も人間以外が書くやうになるかもしれない。
 人工知能の開発は、疑ふまでもなく今後も進められる。やがては人間の心をある程度理解し、場合によっては再現するやうなものまで現れるだらう。まさに機械が心を持つやうになるかもしれない。その際、日本人の技術者諸氏には日本人の感性を忘れずに開発を進めてほしい。
 ロボットが「正しさ」について悩み、子供の友達として描かれるわが国には、それ以前からも無機物に心を見出し、時として神と崇めてきた精神文化の歴史がある。諸外国にも同じやうな感覚があるのかもしれないが、人型をしてゐない小惑星探査機さへ心のある存在として思ひを寄せる日本人ならば、間違った方向に進むことはあるまい。
 ただ、ひとつだけ心配なのは、今後さらに技術開発が進み、ロボットが神事を執りおこなふやうになったとき、「人間の神主さんよりずっとありがたい」と言はれてしまはないか、といふことだ。
(神職・翻訳家)

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