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杜に想ふ 名月の候 神崎宣武

平成29年09月25日付 5面

 「月々に月見る月は多けれど 月見る月は此月の月」、といひ伝へてきた。
 「中秋の名月」、にほかならない。旧暦の八月十五日、今年は十月四日となる。そのころになると、夏の暑さも去り、空気も澄みわたって、いちだんと美しい月が見られる。
 縁側や庭先に月見の台をしつらへ、そこにススキを飾り、サトイモの葉にカキ(青柿)やクリ、サトイモ、枝豆、団子などを供へて月を愛でる。その供へもののなかで、もっとも大切だったのがサトイモ。そのため、中秋の名月は、別に「芋名月」と呼ばれた。
 その約一カ月後の旧暦九月十三日の月が「後の月」。「豆名月」とか「栗名月」ともいはれる。このころ、ちゃうど収穫期を迎へるマメとクリが、供へものの中心となったからである。
 中秋の名月にかぎっていふと、供へものをして祝ふのは、古く中国の風習である。そのときの贈答品が月餅で、現在にも伝はる。しかし、日本では月餅が年中店頭に並ぶ。その一方で、芋名月とか豆名月を祝ふ習慣は、いつの間にか後退してしまった。
 前後の名月。いつのころからか、十五夜の月を見るなら十三夜の月も見るもの、とする習慣もあった。十三夜を欠くと、これを「片月見」といって忌み嫌った。また、家族や夫婦が別々の「一人見」も忌み嫌った。
 「月見れば ちぢに物こそ悲しけれ」「我が身一つの秋にはあらねど」、と百人一首のなかにある。つまり、月を一人で見てゐると何やら物悲しくなる、といふのだ。
 『源氏物語』や『竹取物語』にも、月を見ながら泣く抒情的な描写がでてくる。「月は無情」とは、大正末期から昭和の初めにかけて大流行した歌謡である。
 とくに、女性が一人で月を眺めることを忌み嫌った。が、煌煌と冴える月は美しい。ならば、皆で眺めようではないか。と、いつのころからか誰彼となくいひだしたのだらう。そのとき、子供たちが月見団子をこっそり盗む習慣も派生した。それもまたよし、それで忌み(不安)が消える、ともしたのではあるまいか。日本人ならではの感性、といふしかない。
 さうした情緒が消えゆくのは、何ともさみしいこと。子供たちならずとも、大人たちまでも月光や月夜に無関心になってゐる。都会では、月も星も見えないから、と平気でいふ人さへもゐる。とんでもないことだ。晴れてゐる夜ならば、どこでも月がのぞめるはず。月を愛でる気もちが欠如してゐるのである。
 私個人は、月光を浴びながら酒を飲む。一人見でも優雅な気分になる。さういへば、たしか「月下美人」といふ銘酒があったが、このごろみかけなくなった。
 昔がよかった、といふのではない。が、これが年齢のせゐか。経済の高度成長といふ近代化のなかでの忘れものがもったいないやうに思へてならないのである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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