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杜に想ふ 一所懸命に潔く 涼恵

平成29年11月06日付 5面

 子供の頃、一生懸命といふ言葉が好きだった。真剣に命を懸けて打ち込んでゆく姿勢に勇気をもらひ、感銘を受けてゐた。
 個人的には真っ先に母の姿が浮かんでくる。一つの物事に対して、いつも限界まで考へて、寝食を忘れて与へられた役割を果たさうとしてゐる。時に我儘な娘の要求を果たせずにゐると、「お母さんは、ギリギリまで頑張ったつもりだから、できないことがあったとしても、やるだけやったから悔いはない」と、何とも潔い答へが返って来たものだ。不満を感じてゐた自分が恥づかしくなる。
 いつの頃だったか、一生懸命といふ言葉は一所懸命からきてゐると知った。元々は鎌倉時代の武士たちが将軍から賜った土地や、先祖代々伝はってゐる所領を命懸けで守ったことを「一所懸命」といひ、そこから命懸けで取り組む姿勢が「一生を懸ける」に通じて現代では「一生懸命」と表記される機会が多くなったのだといふ。
 若い頃はなんとなく一所懸命よりも一生懸命と書いた方が真摯といふか、より本気で継続的に気持ちを籠めてゐるやうに感じられた。一所懸命は短期間でその時だけ打ち込むやうな、どこか冷たさを感じてしまふ……そんなイメージがあった。ところが年を重ねるにつれ、ひとところに誠実な一所懸命の方が重みを感じるやうになってゐた。次がもうないかもしれない覚悟を持ち、一つ一つ丁寧に臨んでゆく姿勢。
 つい先日、娘の運動会で年長組のリレーを観戦したのだが、自分の持ち場に全身全霊を懸けて走り抜く、まさに一所懸命な姿を目の当たりにした。
 ひたむきで、全体のことなんて計算してゐない。愚直なほどに目の前しか見てゐない。転んでも躓いても、どんなに相手との差が開いても、次に襷を繋ぐため、今自分にできる精一杯で走る。ただそれだけ。
 先月、帰省した際に尊敬する先輩神職さんたちがこんな話を聞かせてくださった。
 「自分が舵を執るときは、もうあれこれと考へずに眼前にあることに集中する。初めから先を見越してなどゐなかった。気が付けば道ができてゐた」。すると彼をサポートする立場の方がかう仰った。「長はそれでええねん。一歩引いて、全体の景色を把握するのは私の務めですから」。
 さりげない会話のなかに、お二人の信頼関係と人間性を感じて、静かな感動が沸いた。持ち場や視界はそれぞれ違ってゐても、要所要所で自分のやるべきことを果たすことで、立体的に物事が果たされてゆくのだ。
 一つの事柄を懸命に積み重ねてゆくと、振り返った時、知らずと道になってゐるもの。神道は「道」。教へではなく道である所以を、神明奉仕をさせていただくたびに実感する。続く道のなかで、今この瞬間を生き切る。一所懸命に。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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