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論説 明治維新と現代日本 御親祭百五十年に際して

平成29年11月27日付 2面

 本紙今号にも掲載されてゐる通り、去る十月二十八日、埼玉県さいたま市大宮区鎮座の氷川神社で「明治天皇御親祭百五十年祭」が執りおこなはれた。
 この御親祭は「崇神祇重祭祀皇国大典政教基本」、「方今更始之秋新置東京親臨視政将先興祀典張綱紀以復祭政一致之道也」とある所謂「祭政一致の詔」を明治天皇が御親ら実践躬行されたものであり、我ら神社関係者にとって最も重要な「祭祀の厳修」の大本である。


 元号が「慶応」から「一世一元」の「明治」へと改元されて間もなく、明治天皇は御東幸の途につかれた。東京着御後の明治元年十月には前記の詔が仰せ出され、十月二十八日の氷川神社での歴史的な御親祭がおこなはれた。これを記念・奉祝して氷川神社では、五十年前の昭和四十二年、百年前の大正六年にそれぞれ大祭が斎行されてゐる。
 今般の明治維新百五十年に際しても、前回の明治維新百年当時と同様、少なくとも神社関係者にとっては「明治維新」の現代的意義を改めて考へる上で大きな契機となる大祭と言へよう。
 前回の百年祭に関しては、本紙は昭和四十二年十月二十八日号で昭和天皇の同社御参拝などについての論説や記事を掲載し、「明治天皇御親祭百年」の意義等にも触れてゐる。
 当時の神社界は、前年に神社本庁が選定した「明治維新偲ぶ心が国興す」の標語のもと、斯界一丸となって明治維新の理念・意義の国民的啓蒙や学術的文化的な活動を展開してゐた。
 その活動は斯界内部に止まらず、広く国民や国(政府)を射程に入れた国民運動でもあり、本紙も逸早く昭和三十九年十月には、「政府に対して、明治維新百年祭執行の一大請願運動を起すことを、われわれは提唱する」との論説を掲げた。
 この提唱に日本国民会議も呼応し、また斯界では神青協と氏青がその尖兵となって政府・議会等に対する活潑な請願運動を展開した。その結果、昭和四十三年十月二十三日に天皇・皇后両陛下御臨席のもと政府主催の「明治百年記念式典」が開催された。
 十月二十三日の開催となったのは、明治と改元された旧暦の明治元年九月八日が新暦換算で十月二十三日となるからであったが、政府の姿勢は元号制度も含め明治維新の理念・精神を殊更に避けようとするものであった。


 無論、かうした政府の姿勢に対し、本紙は批判的にならざるを得なかったが、他方では昭和四十一年六月十一日号の論説「明治改元の日」に見られるやうに、政府主催の期日を梃子にして「元号制度の安定的確立」のための法制化の必要性を迫ったり、さらには当時の政情や社会状況を勘案・考慮して「明治維新百年」の意義を評価することの必要性も忘れずに説いてゐる。
 かかる冷徹な時局認識がなければ、明治維新の理念・精神を体し、具現化する次なる段階への飛躍など期すべき筈もない。これが葦津珍彦ら当時の神社関係者たちが明治維新から学んだ五十年前の現代日本に対する認識であり、精神的跳躍台であった。


 それから半世紀が経ち、平成の御代も三十年にならうとしてゐる明治維新から百五十年後の現代の日本、そして斯界。その現況や如何。
 それを考へる上での格好の参考書として、葦津の『明治維新と現代日本』と題する小冊子がある。神社本庁の「明治維新百年記念叢書」の第一冊目として昭和四十一年に発行されたもので、当時の神社本庁を組織・構成する神社界の情熱と意気込みがひしひしと伝はってくる「神社本庁事務総長」の「序文」もある。
 葦津は云ふ、「今一度あの維新の歴史を追体験し、先人たちとの心理的交流に努めるがいい。そして今の日本の問題についても、先人たちに問ひかけるがいい」、と。
 この五十年前の葦津の言が現代に通用するかしないかは、偏に「歴史の追体験」、「先人たちとの心理的交流」ができるかどうかに懸ってゐる。何も百五十年や百年前でなくともいい。今般の明治天皇御親祭百五十年祭を機に、せめて五十年前の歴史を追体験し、先人たちと交流して現況を見つめ直すことくらゐはしても良いだらう。それが葦津の「明治維新と現代日本」に託した我々へのメッセージである。
平成二十九年十一月二十七日

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