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杜に想ふ 複雑さを楽しむ 涼恵

平成29年12月04日付 5面

 最近読んだコラムに、現代人は複雑なことを理解することが苦手な人が多い傾向がある。と書いてあった。果たして本当にさうなのだらうか……。さうだとしたら、なんて勿体ないことだらう。
 第百五十三回芥川龍之介賞受賞作家でもある又吉直樹氏は著書『夜を乗り越える』で、「複雑なことを複雑なまま理解できた時の方がよりおもしろい」と綴ってゐたが、私はこの言葉にいたく共感を覚える。
 自分の話で恐縮だが、私は子供の頃から物事をシンプルに捉へることが、どちらかといふと苦手で、自分の心内を人に話す時も上手く表現できなくて、いざ話してみても、「あぁ、かういふことね」と解釈されては、〈本当は違ふんだけどな……〉といふ本心を呑み込むことが多かった。どうしてそのままには伝はらないのだらう? と、複雑な心模様をほろ苦く味はひながら、シンプルに捉へられる人に憧れを抱いてゐた。きっと、難しいことはシンプルに、シンプルなことほど複雑に捉へられたら、生き抜く力が身につくやうな気がしたものだった。
 感じてゐることの現象を自分ですら捉へることができずにゐる時、少し分割して、一つづつ物事を見つめてゆくと、わかりやすくなる場合がある。でも、それが正しいのかといふと、そんな単純なものではなくて、分けずにそのまま考へることで見えてくる世界も実際にあると感じてゐる。
 まさに、日本神話はそんな物語の連続ではないだらうか。初めて神話の世界に触れた時、その混沌さや矛盾さに、意味がわかったやうなわからないやうな、不思議な感覚があった。神様の名前も変容してゆくし、地域によってその謂れもまちまち。でもだからこそ、読むたび、知るたびに解釈が深まり、登場人物に共感してゆく段階を楽しめる。
 神道には教義経典がない。その理由が歳を重ねるごとによくわかる気がする。そしてそれはとてもありがたいことなのだと思ふ。八百万の神々が存在してゐて、それぞれにお守りしてゐる分野も御利益も違ふ。唯一神ではないその教への寛容さ。答へを一つに導きださないことが答へでもあるといふのか……。一つである必要がないのだ。いや、できないことを知ってゐるのか……。
 複雑なことを複雑に理解する楽しみがあると、私は感じてゐる。と同時に複雑なことを単純に理解する楽しみもある。さうすることで、こぼれてくる事象と残る事象とに分かれ、浮き彫りになる真実もあるから。
 物事も人の思惑も複雑に絡み合ひながら、陽はまた登り沈んでゆく。移ろひやすさも複雑さゆゑか……。
 さう感じるのは私が女だからといふ訳ではあるまい。いやしかし、女心と秋の空とはよく言ったものだ。複雑極まりない色合ひに満ちた美しい秋空に想ひを馳せ、今この筆を進ませてゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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