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杜に想ふ 新年を迎へる 須浪伴人

平成30年01月01日付 11面

 「年が明けると何が変はるのだらう」。小さい頃、新年を迎へる準備に忙しい祖父母や両親を手伝ひながら、そんなことを考へてゐた。年が明ける瞬間には神社の境内をぢっと眺め、とくに何も変はらないやうに映る景色にがっかりしたものだ。「外国なら少しは違ふのかな」などと思ひもした。
 時が経ち、生まれて初めて神社以外の場所で新年を迎へたのはアメリカ留学中のことだった。中部のカンザス州にある、見渡す限りの地平線に囲まれた田舎町には当然、神社はなく、ホストファミリーと一緒に静かに新年を迎へた。
 残念ながら英語には「あけましておめでたうございます」にあたる言葉がなく、日本人として何となく寂しさを感じた。
 二回目はロンドン留学中。欧米人にとって年越しは単なるイヴェントだと実感した。市内のトラファルガー広場をはじめ、各地で大勢の人が集まってカウントダウンがおこなはれ、日付が変はると花火が打ち上げられてゐた。
 ここでもやはり「あけましておめでたうございます」はなく、何とはなく日本の方角に向かって頭を下げたことを覚えてゐる。
 いはゆる「お祝ひムード」といふ意味では、日本も外国もさして変はりがないやうに見えるが、何を感じてゐるかには違ひがあるのではないだらうか。例へば「ハッピーニューイヤー」。「あけましておめでたうございます」の英訳だと信じてゐる人もゐるが、「年が明けてハッピー」とは一言も言ってゐない。実際、この言葉は年末年始にかけて使はれ、その意味はむしろ「良いお年を」に近い。新しい年を迎へたことそのものを日本人が祝ふのとは意味のズレがある。
 それでも具体的に何がめでたいのかと問はれると、答へられる人は多くないだらう。歳神様をお迎へするから、数へ年で皆が一斉に年を取るから等々、いろいろな説がある。おそらく、そのどれもが正解なのだらう。そして、多くの日本人が新しい年を迎へたことをめでたいと感じてゐる。
 小さい頃はこの「めでたさ」が本当に疑問だった。少なくとも自分にとっては家の中が忙しい雰囲気で満たされ、楽しいと思ったことがなかった。若者を経て中年となった今でも忙しさは相変はらずで、個人的にめでたさを実感できるやうなタイミングはなかなか訪れない。
 ただひとつ、五十路の足音が聞こえるやうになってやうやく気付いたことがある。初詣に訪れる人々は皆、表情のどこかに希望が見えるといふことだ。新年はつまり生まれ変はりの時だと言ふ人もゐる。だから、三十年目を迎へる平成の御代を言祝ぐと共に、心から申し上げたい。
 あけましておめでたうございます。
(神職・翻訳家)

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