文字サイズ 大小

杜に想ふ 鳥総立 涼恵

平成30年02月12日付 5面

 樹齢百五十年のあすなろの木をクリスマスツリーにした神戸市での行事。賛否両論物議を醸し、個人的にも木と人との関係を考へ続けてゐる。
 已むに已まれぬ事情で境内の木々を伐らなくてはならない事態に追ひ込まれた時、あなたはどうされるだらうか。
 神様は建物のなかにお鎮まりいただいてゐるといふよりは自然そのものといふのか、境内地の環境や雰囲気にも、その御存在は大きく影響されてゐると感じてゐる。まだ神職になるための勉強をしてゐた頃、確か神道教化の先生だったと思ふのだが、「神社は主体と客体が大事」だから、掃除をすることや緑の景観を保つことなどが重要なのだと説いてくださった。私はこの言葉がとても印象深く残ってゐて、目に見えない神様(主体)を目に見える形として(客体)どうお伝へするか……ここに神職としての工夫が必要になってくるやうに感じられた。
 私は木を伐らずに済む方法ばかりを考へてゐた。最悪でも移植することが第一に優先されるべきで、それ以外は誤った行動になってしまふと感じてゐた。命を絶つことがただ申し訳ない、木を伐ることの罪の意識だけが表面的に占めてゐた。でも現実はそんな感情論だけでは済まされない複雑さがあるのだと思ひ知らされる。
 樹医、造園屋、材木屋、建築家といった木の専門家の方の意見には何度も目から鱗が落ちた。樹木にも寿命があること。水や土や風が合はなければ枯れてしまふこと。木も人間と同じく霊魂は永遠。人でいふところの肉体は木材として生活のなかに生き続ける。分け御霊として、我々人間がどう扱ふか。
 ある林業を営む方は「木を扱ふといふことは、“きづかひ”なんや。気遣ひができんとあかん」と、教へてくださった。古来私たちは、その命をいただいて、木造建築や用材として生活のなかでともに生きてきたのだ。だからこそ、木のプロフェッショナルは木に対しての敬意を忘れない。
 「鳥総立」。先の式年遷宮の際にも御杣山で杣人により執りおこなはれた古式ゆかしい慣習。この行為にこめられた願ひ。木と人との関係とは、元来とても深い。命として接し、ともに生きてきたことが伝はってくる。伐り株に鳥総(茂った梢)を立て、再生への願ひと木への感謝を表す。万葉集にも詠まれてゐる古くからの習はし。今も昔も変はらない日本民族の自然への畏敬と感謝が同じ形で千三百年以上も続いてゐる。
 何が正しくて、何が間違ってゐるのかを人間が推し量ること自体が傲慢なのかもしれない。ただ、変はらないものはあるのだと、悠久の時のなかにあっても受け継がれ続ける意志や心があるのだと、身を以て感じてゐる。自分の身に興して、この感覚や実感を体現して生きてゆきたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧