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杜に想ふ 答へ合はせの日々 涼恵

平成30年04月09日付 5面

 神様から絶えず問ひかけられてゐる。
 皆さんも、そんな風に感じることがあるのではないだらうか。どちらを選ぶのか――日常に小さなテストがいっぱい隠されてゐて、その答へはすぐに事象となって顕れる。
 神様や祈りのカタチは目に見えないからこそ、起こる出来事の中に答へが潜んでゐるやうに感じる。いや、「答へ」と言ふべきか、「応へ」なのか。
 神様はちゃんと受け止めてくださり、示してくださる。自問自答しながら、神様と答へ合はせをしてゆく日々。
 つい先日こんなことがあった。地方公演があり羽田空港へと向かふ道中、新宿から山手線に乗り換へようとしたのだが、あまりに人が多くスーツケースと大人一人が入り込める余裕を見つけられず、結局電車を二本見送った。通勤ラッシュとはいへ、あの時の乗客の表情はとても冷ややかで、ストレスフルなものだった。きっと今日の私はこの波長に近い何かがあり、その場に居合はせたのだらう。飛行機の時間が迫る。間に合ふか不安も重なり少し気持ちが沈んだ。
 なんとか無事に空港に着き、大急ぎで搭乗窓口へ向かふと航空会社の担当の女性が迅速かつ懇切丁寧に誘導してくださり、時間内に機内へと進んだ。席に腰を掛けると、ほどなく機体は動き出した。「良かった。間に合った……」ホッと胸を撫で下ろし、ふと窓に目を向けると、滑走路の脇で整備員さんたちが満面の笑みでこちら側に手を振ってゐる。日に焼けたお顔に白い歯と皺くちゃの笑顔。見えなくなるころには乗客を乗せた機体に深々と一礼。思はず目頭が熱くなる。
 人それぞれ。どれも人間らしさなのかもしれない。自分はどう生きてゆきたいのか。なりたい自分になるために、瞬間瞬間が一つの答へのやうに、誰かとの会話の中でハッとする言葉、見ず知らずの誰かの働く姿勢から学びがあったりする。
 だから自分も神明奉仕をする中で、境内の掃き掃除をしながら氏子さんと話す時、参道ですれ違ふ時に交はす笑顔など、一瞬一瞬に神様とその人をお繋ぎできるやうな神職でありたいと願ふ。
 今でもさうなのだが、家族や友人から感じやすいと言はれることが多かった。さう言はせてしまふ自分が嫌で仕方がなかった。普通にしてゐるつもりでも、周りに気を遣はせてしまってゐる。もっといちいち感傷的にならず、淡々と受け止めて生きられたら良いのに……。さう何度も憧れては自分を責めた。
 けれども、そんな心と向き合ふと必ず、神様を感じる出来事に遭遇する。日常の中でのあんなことやこんなこと。
 変な表現になるが、神様ほど感受性が豊かな御存在はいらっしゃらないのではないだらうか。すべてお見通し。それで良い、それで良いよと今日もどこかで、風が吹いてゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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