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杜に想ふ 「君が代」に想ふ 涼恵

平成30年05月07日付 5面

 先日、娘が通ふ公立小学校の入学式に出席したのだが、愕然とする出来事があった。国歌斉唱の際に生徒や教師たちが大きな声で「君が代」を歌ふなかで、保護者席からは歌ふ声が殆ど聞こえてこない。前奏が流れてきた時点で首を横に振る夫婦さへゐた。多くの保護者は下を向いたまま、口を開かなかった。いよいよ迎へたわが子の小学校生活をお祝ひし、見守る入学式で、親として歌はないのは何故なのだらう。「君が代」といふ作品にこめられてゐる意味や内容を御両親はどう感じていらっしゃるのか。
 私はこの曲のなかに純粋な祈りを感じてゐる。「あなた様の世がいつまでも長く栄えますやうに」。それは、誰かのことを想ふ気持ち。讚へる気持ち。極端な言ひ方になるかもしれないが、親が子供に、子供が親に歌っても成立するほど、自分を一歩引いて人を支へ敬ふ精神が表れてゐる気がしてならない。
 御両親が歌はないことを選択するのには、なんらかの理由や違和感があるからなのだらう。見たところ、保護者の年齢層は三十代から五十代。戦後教育を受けつつも、新たな歴史的解釈を身に付け、神社に参拝する率が高い世代でもあると認識してゐたので、この事実には驚きを隠せなかった。地域や学校にも依るのだらうが、「君が代」のイメージは、何かの色が付けられたまま独り歩きをしてゐるやうに感じられた。教育基本法が改正され、教師が生徒に国歌を教へてゆくなか、一般の保護者たちには歌はない人がこんなにもゐるのだと知り悲しかった。
 私事になるが、娘は物心ついた頃から「君が代」を覚え歌ってゐる。育ってゆく環境のなかで自然と身に付き、旋律も歌詞も大好きなのださう。理由を聞くと、「だってこれ、人のことを想ってゐる歌でせう? 歌ってゐると誰かの役に立てるやうな、強くて優しい気持ちになるの」。
 子供のほうが、曲の持つ本質的な意味を無意識に捉へてゐるやうに感じる。米国や仏国の国歌を聞かせてみても、彼女には主張が強すぎるらしい。日本の国歌は栄光や勝利を主張するものではなく、相手を想ふ純粋な祈り。それを自然の万物を譬へに謳ってゐる。他のどの曲とも違って聞こえるのださうだ。確かに私も同じ印象を子供の頃から抱いてゐた。
 「君が代」の歌詞は御承知の通り、詠み人知らず。名前が伝はってゐないことにも、どこか謙虚さを感じる。そして曲は英国人のフェントンが初めに作った西洋調の旋律を、国語の美しい響きを活かした音階へと宮内省の林廣守、奥好義の手により発展させた。その経緯にすら日本人らしい民族性を感じる。
 現在の形に制定されるまでの先人の想ひを現代人は真っ直ぐに受け取れてゐるのだらうか。心が痛む……。「君が代」を改めてしっかりと歌ひ継いでゆきたいと強く心に刻んだ。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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