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論説 明治天皇例祭に際して 明治維新史と神道精神

平成30年07月30日付 10面

 明治天皇崩御日の七月三十日、皇居内の皇霊殿では「明治天皇例祭の儀」、同時に京都・伏見桃山陵にて「明治天皇山陵例祭の儀」が斎行される。明治四十一年制定「皇室祭祀令」に基づき、大正時代は「先帝祭」たる「明治天皇祭」(大祭、天皇御親祭)として、昭和三年以降は「先帝以前三代ノ例祭」たる「明治天皇例祭」(小祭、天皇御親拝)として斎行され、戦後も継承されてきた皇室祭祀である。また同日、明治神宮においても例年通り、明治天皇の聖徳を敬仰追慕する神社祭祀として「明治天皇祭」がおこなはれる。



 振り返れば、神社本庁では昭和四十三年七月三十日に統理告辞を発表してゐる。佐佐木行忠統理は、「時あたかも明治維新百年を迎へ、往時に思ひをいたすとき、我々神明に奉仕するものにとっては、今こそ維新の鴻業を翼賛した先人の志を継承して、国民精神を昂揚すべき千載一遇の好機」と捉へ、「全国の神職諸氏が、公正なる心構へのもと皇国の道義を確立し、現代文明の欠如を補はんがために努力せられるならば、必ずや光輝ある祖国の伝統を恢弘し、民心の帰趨を決し得る」との所信を述べて「現下の重大時局に鑑み、ここに、諸氏の力強い団結と蹶起とを要望」した。この統理告辞に応へ、林栄治事務総長は同日付の声明で、「不退転の決意」と「地味な不断の努力」を重ね、「国家の柱石たり得るやう」精励することを全国神職に望んでゐる。
 かかる五十年前の「明治天皇祭」の日における神社界挙げての決意表明は、「明治維新百五十年」の現在にも大きな示唆を与へる記憶といへよう。



 さて、政府の内閣官房「明治150年」関連施策推進室では、立憲政治・議会政治の導入、国際社会への対応、技術革新と産業化の推進、女性を含めた教育の充実などの「明治以降の歩み」を次世代に遺すとともに、機会の平等、チャレンジ精神、和魂洋才などの「明治の精神」に学び、日本の強みを再認識して「更に飛躍する国」を目指すことを基本的な考へ方としてゐるが、聊か隔靴掻痒の感は否めない。
 ただ、斯様な見方は今に始まったことではない。昭和十七年の神祇院発行『王政復古の指導精神』で國學院大學教授井野邊茂雄は、「世の維新史を説くもの、明治の改革事業のみに観点を置き、王政が復古せられなければ、改革事業もまた、絶対に実現せられないといふ重要な事実を無視するものが多い。然れども、もし王政の復古幷にこれに伴ふ敬神尊王の事実を忘れるものがあれば、それは、魂のない維新史である」と喝破した。また、昭和十五年の内務省神社局編纂、明治神宮祭奉祝会・明治神宮社務所発行『明治天皇の御敬神』でも、皮相的観察に釘を刺した上で、明治天皇による維新大業の中核精神を成す「敬神崇祖の精神」や「皇祖肇国の大精神」に思ひを致して皇室・神宮・神社各祭祀の形成と概要を説き、「明治時代に於ける皇国日本の飛躍的発展と、明治天皇の御敬神との密接なる関係」を見出してゐる。



 昭和二十五年十月二十三日付本紙社説(葦津珍彦執筆)は、明治天皇を「近世の最も偉大崇高なる神道人」と仰ぎ、明治二年の「天皇神宮御参拝の新例」を特筆して「厳粛なる伝統保持の精神と、積極果敢なる創造進歩の精神との絶妙なる統合に心をうたれる。これこそが真に生命的な神道精神」と記したが、逆に國學院大學教授藤井貞文は維新史と「神道精神」との関係を祠官の活動から論じた(本紙昭和三十八年一月五日付)。かかる「神道精神」を明治維新史の核心と見る史論を軸に、昭和四十三年完結の『明治維新神道百年史』全五巻(神道文化会)といふ斯界の金字塔も編まれたのである。
 また、北野天満宮権宮司阪本健一は、「神社の現在並に将来の在り方につき、神社人は率直に自己反省すると共に、構想を新にして邁進すべき重大なる時機に際会して居ることを覚悟すべき」と述べ、次の如く説いた。「かくして憶ふ。明治維新百年を記念することは、維新前への逆戻りであったり、又維新の裏返しであってよいであらうかと」(本紙昭和四十一年三月十九日付)。
 あへて問ふ。現在、神道人たる我々は、半世紀前の先人たちが志した如く、維新史と現代時局に対する独自の見識と覚悟を持ち、団結して「国家の柱石」たり得てゐるのだらうかと。

平成三十年七月三十日

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