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杜に想ふ 特殊と普遍 武田幸也

平成30年07月30日付 6面

 ハーバード大学ライシャワー研究所のヘレン・ハーデカ教授に、旭日中綬章が授与された。謹んで祝意を表するとともに、広く皆様にお知らせしたいと思ふ。
 ハーデカ先生は、近現代の日本宗教史研究を牽引する学者として、近現代の神道や仏教教団の宗教生活に至るまで幅広く研究をおこなってきた。このやうな先生の日本研究における多大な功績と、長年に亙るアメリカ国内での日本研究の発展及び対日理解の促進への寄与が認められ、今回の受章が決定したさうである。
 さて先日、ハーデカ先生の叙勲を祝ふ会が開催され、筆者も参加させていただいた。会では、先生が圭室文雄先生(明治大学名誉教授)との思ひ出をお話しになるなど、和やかな会となった。この会で筆者は、たまたま政治学を専攻する方と話す機会があったので、最近疑問に思ってゐることについて聞いてみた。それは、アメリカの政治学において天皇がどのやうに捉へられてゐるのかといふことである。
 これは、筆者がこちらで開催されるシンポジウムやワークショップに参加する限り、ほとんど天皇に関する話を聞かなかったからである。お話によると、少なくとも政治学において天皇に関する研究は活溌ではないさうである。
 また授業においても、近代について話す際に若干触れることがあるだけらしい。これを聞いた時に思ひ出したが、以前、行政学の方とお話した際、日本で注目されるのは小選挙区制を導入したことだけらしく、日本の注目度はさほど高くないといふ話であった。ただ、この前提には日本研究か政治学かの相違がある。
 他方で、お話を伺ってゐる際に疑問に思ったのは、近代日本の政治体制について話す際、それがかなり時代遅れの変はった形であったやうに述べられてゐたことである。恐らくこの前提には、西洋・アメリカ的な民主主義の在り方から見たことによる評価が含められてゐるのであらう。
 筆者としては近代日本の政治制度について専門的な知見を述べられるほどの知識があるわけではない。だが近代日本の制度を西洋的な常識から評価するだけでは、その制度の意義や特徴について見落とすこともあるのではないだらうか。
 筆者にとって日本の近代をどのやうに評価すべきか。その答へはまだないが、少なくとも近代の日本が世界に「普遍」化しつつ、日本的「特殊」を成立せしめようとした時代であったと思ってゐる。そしてその象徴が天皇であったのではないか。だからこそ時代を問はず「日本」を考へる上で天皇は無視し得ないと思ふのである。
(國學院大學助教・ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員)

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