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杜に想ふ 置賜の民 神崎宣武

平成30年08月20日付 5面

 後輩の成長した姿を見るのは、うれしいことである。
 S君は、私よりひとまはり近く若い民俗学者。先ごろ、大学(教授)の職を退いた。
 S君とはじめて会ったのは、三十年以上前か。大学院を出た彼が、私どもの研究会で、「置賜の民俗」について発表してくれた。それは、ハヤマ信仰と修験信仰が主軸であった。
 ハヤマ(葉山、端山)は、村落に近いところの小山である。ここに、山のカミや虚空蔵菩薩が祀ってあったりする。そして、そこで時折の信仰儀礼と山遊びがおこなはれる。とくに、旧暦四月十七日におこなはれる行事を「高い山」と呼ぶさうで、高峰霊山を拝しての里山行事、とみてよからう。研究発表の内容はともかく、そのときのS君の印象は薄かった。以後も時折の会合で顔をあはす程度で、彼の学問的な進展を知るすべもなかった。
 そのS君から、突然の誘ひがあった。
 彼が所長をつとめる農村文化研究所(山形県米沢市)のゼミナールで基調講演をしてほしい、といふ。テーマは「イザベラ・バードの見た置賜」。私は、以前から置賜地方に興味をもってをり、引き受けることにした。
 ちなみにイザベラ・バードは、明治十一年(一八七八)に来日。東北・北海道に旅行し、それを『日本奥地紀行』(原典一八八〇年刊)に著した。そのなかで、彼女は置賜を、「美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地、東洋のアルカディア(桃源郷)」と評してゐる。
 この十年来、山形県下の各地でイザベラ・バードを顕彰する催しが目立つ。今回は民間の研究所が主導するゼミナールであったが、百人以上の人を集めて大盛況。シニア世代がほとんどだが、誰一人として居眠りをしない。熱心にメモをとる人も多かった。会員とその同伴者がほとんどとはいへ、これは尋常なことではあるまい。私は、これを置賜地方の「民度」の高さ、とみた。とくに江戸後期、上杉鷹山の治政が経済・文化にも及んで優れてゐた、と評される。イザベラ・バードの評価も、それと無縁ではあるまい。
 ところで、S君である。会場で、誰彼となく親しげに談笑してゐる。私は、彼にそれほどに平らな人づきあひの術があるとは思ってゐなかったので、いささか驚いた。
 聞けば、大学院生のときに民俗調査に入って以来三十数年間、この地に通ひつめてゐて、農村文化研究所の立ち上げも手伝ったし、以後のゼミナールにも皆勤だ、といふ。そこで、確かな人間関係を築いてきたのだ。置賜地方は、彼の郷里となったのである。
 民俗学は、体験学であり実践学である。といったのは、私の師である宮本常一(明治四十年〈一九〇七〉~昭和五十六年〈一九八一〉)。しかしそれは、無駄ともいへる労力と時間を費やさなくてはならないのだ。それを、S君はここでなしえてゐるのである。
 私は、S君をあらためて見直した。うれしいひとときであった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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