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杜に想ふ 授業について 武田幸也

平成30年08月27日付 5面

 今年の秋学期に、事情があって大学院生の授業の一部を代理で担当することとなった。筆者が担当するのはリーディングコースといふもので、学生と教員との二人でおこなはれ、必要な文献を読むことや、情報を交換することが主となるものである。
 今回は、近現代の日本宗教に関心を持つ学生に、神道に関する知識・情報を日本語で教授し、議論することとなる。基本的に期待されてゐるのは、神道史の概説的な知識や日本語の文献の紹介、資料の調べ方といった、研究をおこなふ上での基礎的な知識・情報を伝へることにあるといへよう。ただ、単位が発生する正規の授業でもあるので、ここで昨年から受講してゐた授業のことを振り返りつつ、筆者なりの授業における目的・方針を確認しておきたいと思ふ。
 すでに記したことがあるが、筆者が受講した授業は、「Religion and Society in Edo and Meiji Japan」といふものと、「Shinto」である。前者は、主として江戸時代から明治時代を対象とする宗教史に関するもので、後者は、神道に特化した通史的、包括的な授業となってゐた。
 前者においては、近世では仏教に関する講義や民衆宗教が主となりつつ、明治以降は神道に関はる事象が取り上げられてゐたといへる。ただ、近世に関しては神社制度に関はる問題はさほど取り扱はれてをらず、また神道思想に関はる部分もさほど重視されてゐないといふ印象を持った。後者については、神道史に関はる事象を取り上げてをり、とくに大嘗祭が近いといふことも関係して、皇室の即位儀礼については重点的に講義がなされてゐたが、神道史の中核にある天皇の祭祀や神社制度史についてはあまり触れられてゐなかったといふ印象がある。
 筆者のやうな神道文化学部といふ、それを専門とする学部出身の人間からすると、神道の思想史的側面と、祭政一致を中核とする神社制度史についてさほど触れられてゐなかったことは、授業のテーマや授業時間、学生の知識量の問題もあるにせよ、神道史としては若干の物足りなさを覚えるものであった。
 ただ、これらの授業を受講して改めて考へさせられたのは、「神道」とは何か、といふ問題である。当然、「神道」の中核をどこに設定するかによって、その理解は大きく異なってくるし、歴史的な理解や叙述も変はってこざるを得ないといへよう。
 一応、以上のことを踏まへると、筆者としては「神道」について話す際、「神道」とは何か、またそれはどのやうに理解され研究されてゐたのかといふ「神道学」についての研究史といったことも視野に入れつつ、授業を進めていければ良いのではないかと思ふ次第である。
(國學院大學助教・ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員)

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