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杜に想ふ 夏休みの出来事 八代司

平成30年09月10日付 5面

 私が子供の頃、将来になりたいと思った職業は「学校の先生」と「神主さん」であった。今に思へば、先生なら長い夏休みと冬と春にも長期の休みがあるし、宿題もない。また神社の神主さんになれば“毎日がお祭り”だらうし楽しい職業と想ってゐた。無論、実際には先生方は長期休暇にはさまざまな研修があり、神職の方々も毎日がお祭りではないことは、ある程度の年齢となってわかったのだが、子供の頃の夢とお笑ひいただきたい。
 この夏、うれしい出来事があった。ある日、電話が掛ってきて、取次ぎの話では「大学生からの電話」とのこと。名前を聞いてすぐに故郷の近隣に鎮まる神社の神職家の御子息とわかった。聞けば神職課程を履修する中、ゼミ研究で私の産土神社に伝はる祭礼についての研究をしてゐるとのことであった。緊張した声の学生に「その神職家の親戚筋でもある貴方のおぢいさんやお父さんが私より詳しい」と伝へはした。しかし、偶然にも私の大学時代の後輩が彼の指導教員でもあり、その祭礼のことであれば私を訪ねるやうにと三方共々に言はれたとのこと。些か恐縮はしたのだが神職家の三代の方々と交はれる御縁のありがたさからも謹んでお受けさせていただいた。
 夏休みの帰省時に合はせて日程を調整し、父君と共にわざわざお訪ねをいただいたのだが、挨拶もそこそこに、敢へてすぐに席を離れるのも親心かと、じつに微笑ましかった。
 さて、本題の祭礼については、なにぶんにも地方のために古文書類は極めて少なく、また文化財に指定された際の詳細な現代の『祭礼調査報告書』もあるのだが、案外そこには記載されてゐないことも多いことを伝へた。私自身は故郷を離れて久しいが、中学時代から産土神社に通って、師と敬愛する宮司の最晩年にお仕へすることができたことにより、彼に話すことができたことはありがたかった。
 その内容は、歌道の「古今伝授」や伝統芸能の世界にある「一子相伝」ほど大業なものではなく、また御神前や座敷で正座してでの継承をされたものではなかった。茶飲み話の囲炉裏端や著装する老宮司の衣紋奉仕などに際しての縁側で日々何気なく話される師の時折の一語一語から知り得たことばかりであった。いまにして思へば、それらは案外に祭儀の深奥のことであり、そのごく一部ではあったが、このたびの次代への伝達の機会を得たことは私自身、実にありがたかった。
 思へば産土神社の社務所の座敷に掲げられてゐた明治天皇御製「わがくには神のすゑなり」の額は出雲大社の宮司・千家尊福公の揮毫によるものであった。あらためて御製を拝誦してわが師恩を思ひつつ、彼の学生が卒業ののち、郷里に帰られて父祖累代御奉仕される御社頭に立つ姿を想ひ、その弥栄を遙かにお祈りし、在りし日の師の姿を思ひ返してゐる。(まちづくりアドヴァイザー)

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