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杜に想ふ ごみを拾ふといふこと 涼恵

平成30年10月01日付 5面

 ある日の出来事。電車のなかで間もなく新宿に着かうかといふ時、何処からともなく空っぽのペットボトルが転がってきた。すると、しかめっ面のをぢさんが転がるペットボトルをスッと手にした。
 「をぢさん、カッコいい!」、思はず娘と二人で声をあげてしまったのだが、をぢさんは背中がピクッと動いただけで、表情も変へずに電車を降りて、ホームのごみ箱へとそれを捨てた。
 とっても素敵なことだと感じる。誰が捨てたかわからないごみが自分の近くに転がってきたからといって、無視する人だってゐるだらうに、わがことのやうにスッと腰を屈めて自らの手に取って処分する。きっとをぢさんは日頃から多くを語らず、さうやって行動に移していらっしゃるのだらう。そんなことを想像しては、娘と一緒に今後自分がどう在りたいかを話しながら家へと帰った。
 ごみ拾ひを通じて世代間を繫ぐ。そんな活動を五年も続けてゐる盟友がゐる。ごみ拾ひは目的ではなく手段だと彼は言ふ。人と人とが繫がるきっかけ、その先に社会が見えてくる。少子高齢化が進み、高齢者の世帯は孤立してしまふといふ現実。
 私が参加した際にも、ごみ拾ひのために電車に乗ってやってきたといふ一人暮らしのおぢいちゃんや近所のおばあちゃんがいらした。子供や孫とも離れて暮らすなかで、地域の子供たちと自然と触れ合へる。無理なく世代間交流が成されることこそ、ごみ拾ひの最大の魅力。和気藹々三世代が交流して、綺麗になった町といふ結果を仲間と共有することができる。
 長年活動を続けてゆくなかで、ごみが減らないことへの憤りはないのかと問うてみたところ、そこまで干渉したいとは思はない。自分の活動によって地域のゴミが減るとは思ってゐない。ただ、自分は捨てない。ごみ拾ひに参加した子供たちもきっと捨てなくなる。それだけ。まぁいっかと一人が思ふことが広がって、みんなもごみを捨ててしまふ、そんな背景が捨てられた場所から推測できる。寒くなってくるとマスクのごみが増えたり、季節を感じることもある――と話してくれた。
 ごみの現状が私たちの生活を映す鏡にもなってゐる。淡々と自分にできることをやり続けてゆく。同じごみ拾ひで集まった仲間から自然と仕事の話にまで発展することもよくあるといふ。
 ポイ捨て。きっと、その行為よりも大きな問題はその行為以前の、無関心にあるやうに感ずる。社会と地域と他者と自分。もっといってしまへば自然界と自分さへも関係してゐないといふ分離感覚。きっと、ごみ一つだって人と繫がるきっかけになれる。
 神職として無関心な人々の心にどう関はってゆくのか……今後に繫がる大きな課題を転がるペットボトルから感じさせられた。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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