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論説 適正な神社運営のために 全国神社総代会大会

平成30年10月08日付 2面

 今号掲載の通り、九月二十六日に熊本県で第五十四回全国神社総代会大会が開催され、全国各地の責任役員・総代など約千五百人が参集した。
 大会では、建築家・隈研吾氏による記念講演に続いて式典があり、会長式辞と関係者からの祝辞ののち、功労者等の表彰や事業計画の報告などがおこなはれた。また大会宣言として、全国四十万余の神社役員・総代の力を結集し、愈々活動を盛んにしてゆかなければならないとの認識に基づき、皇位継承の意義啓発、皇室敬慕の念の涵養、祭祀厳修と適正な神社運営、祭祀の振興と地域社会の活性化、神宮大麻の頒布、鎮守の杜の保護育成と青少年の教化育成――などの諸活動に邁進していく旨が採択された。
 今回、平成二十八年の熊本地震から二年半が経過し、未だ復興途上にある熊本での大会となった。熊本地震に限らず各地で大規模な自然災害が相次ぐなか、地域社会とその紐帯たる神社の復興、そしてさらなる振興に向けて、出席者らが決意を新たにする機会ともなったのではなからうか。



 その熊本では現在、地元出身の神社本庁初代事務総長・宮川宗徳の顕彰事業が進められてゐると聞く。宮川は明治十九年、熊本・阿蘇神社累代奉仕の祠職の家に生まれ、大学卒業後は内務省・文部省を経て東京市に勤務し、さらに市を退職後は市議会議員などを務め、昭和二十年五月には財団法人神宮奉斎会の専務理事に就任。その年八月に終戦を迎へた後、皇典講究所の吉田茂、大日本神祇会の秋岡保治らとともに民間の神祇関係三団体による神社本庁設立に深く関与した。また神道文化会・神社新報社の生みの親ともいはれ、その運営に私財を擲って尽力。神職ではなかったが、あくまで一人の神道人として戦後混乱期に神社界を支へ続け、現在の神社本庁・神道文化会・神社新報社の基礎を築いた。
 戦後七十年余を経て、神社本庁・神道文化会・神社新報社を含めた斯界の今後のあり方を考へていく意味でも、一神道人として斯界のために献身的に尽力した宮川の事績を振り返ることには大きな意義があるといへよう。



 もとより現在の神社界においても、神職以外の関係者の協力・支援は不可欠であり、その最たるものが各神社の責任役員・総代といへる。ただ、過疎化や少子高齢化の急激な進行のなかで、地方の神社においてはその後継者不足も深刻な課題になってゐるといふ。また自治会や町内会などの役職者が氏神の責任役員・総代となることが慣例となってゐるやうな場合、昨今は必ずしも神社に対して好意的ではない人物が責任役員・総代に就任してしまふなど、その選任にあたって苦慮してゐるやうな事例も仄聞する。いづれにしても、責任役員・総代の責務と使命の重さを改めて認識し、神社の護持運営に万全を期すべく対応を検討していかねばならない。
 明治維新に際して、「国家の宗祀にて一人一家の私有にすべきに非ざるは勿論の事」とされた神社は、戦後の変革を経てもなほ地域共同体の紐帯を維持する核であり、わが国の精神的な基盤をなすものである。地域の代表者らが責任役員・総代に就任してゐるのも、さうした神社の公共的な性格を反映してのことであらう。
 神社本庁憲章に「神社総代は、神社の祭祀、信仰、伝統の保持振興について宮司に協力する」とあるやうに、神職・総代が連携してそれぞれの立場で力を尽くしていくことにより、適正な神社運営とその振興が図られていくものといへよう。



 先述のやうに神社本庁は、神宮奉斎会・皇典講究所・大日本神祇会の三団体を母体に設立された。このうち大日本神祇会は昭和十六年に全国神職会を発展・改組したもので、従来の構成員である神職に氏子崇敬者や総代を加へたものである。宮川ら神職以外の関係者の多大な尽力もあって設立された神社本庁は、現在まで七十年余の歩みを重ねてきた。この間、昭和三十三年には各都道府県総代会の代表者により全国神社総代会が設立され、今年はその六十周年の節目にあたってゐる。
 全国神社総代会設立六十周年の節目に際し、各神社はもとより斯界における責任役員・総代の意義と役割について、歴史的な経緯や現代的な課題も含めて改めて確認したい。

平成三十年十月八日

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