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杜に想ふ 礼儀作法の奥深さ 涼恵

平成30年11月05日付 5面

 姿や立居振舞ひには、その人の心や人格が表れる。つくづくさう思はせられる。
 私の尊敬する祭式の先生は、徹底してそのことを実行していらっしゃる。祭式作法とは、神様を敬ふ心を身体の動きで表現することだと。揖一つとっても、心が伝はるもの。全国各地の神社のお祭りに参列させていただく機会が多いのだが、大小規模は違へど、それぞれのお宮、さらには個人の神職の日頃の鍛錬や相手への思ひやりの深さが顕著に祭式作法に投影されてゐるものだと感じてゐる。
 祭典中、それぞれの所役が呼吸を読みながら、相手の次の動作を感じ取りながら連動してお祭を進めてゆく美しさ。お互ひを感じながら、一つになって神様に御奉仕する姿勢やその呼吸は祭式に表れ、その動きの連動は参列者の心を清々しくしてくれるもの。神職は背中で語れとは、よく言ったものだ。わが身を振り返り、姿勢一つとってもまだまだ修行が足りないと身が引き締まる思ひに至る。
 礼儀作法の奥深さ。「躾とは、身体が美しいと書く」。幼い頃から両親や親戚のをぢさんに、さう厳しく言はれて育った。礼儀の基本は相手を思ひやる心から。形ではないその意味を知ってゐるか知らないかでは身体の動作が変はってくる。
 形ばかりになってしまふと素っ気なくて、どこか押し付けがましい。ここの塩梅も含めて、相手への配慮。知ってゐることをひけらかすのではなく、さりげなく身を抓む。先に相手が何を必要としてゐるのかを気付ける思ひやり。相手の気持ちを考へて行動することで、自然と礼儀正しい人になるのではないだらうか。幸ひ私の周りには礼儀正しい方ばかりで、いつもその身のこなしや、さり気ない立居振舞ひの美しさにハッと人間性の深さを感じさせられる。
 新渡戸稲造は『武士道』の中で「礼は慈愛と謙遜といふ動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとをおこなふので、いつも優美な感受性として現れる。礼の必要条件とは、泣いてゐる人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく」と綴ってゐる。
 今夏、トルコにいった際、幾つかのモスクにお参りさせていただいた際にも感じられた。その国の風土に合った信仰があると。そして、お参りする礼儀作法もそれぞれの意味があるのだと。異論もあるかもしれないけれど、私はその土地や宗教に合った作法で祈りを捧げるやうに心掛けてゐる。
 今でも旧祭式や古式に則ったお作法で神事を執りおこなふ神社があるのは、ある意味とても大切なことだと心得る。形ではない。だからこそ、その形を選んだ歴史や意味を尊重して、学びたい。まづは、その動作の背景を読み解く。そこでは、やはり敬ひの心に出逢ふのである。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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