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論説 御創立百五十年 靖國神社教学の構築に向けて

平成30年11月12日付 2面

 今から六十一年ほど前のことであるが、本紙は「釈明と反省と」と題する論説において、「神社新報は、暗い汚い事実を書かなかった。その伝統的品格はこれを固守しつつも、その事のために重大なる事実を見すごすことのないやうにしたい」と書いたことがある(昭和三十二年十二月十四日号)。
 この論説にある「暗い汚い事実」が個別の具体的案件を指してゐることはいふまでもないが、ここで言及するつもりはない。ただ、当該案件の結果として昭和三十三年に「役職員職務要綱」が制定され、その内容は昨今の世間で声高に叫ばれてゐる「ガバナンスとコンプライアンス」を先取りしたものであることを指摘しておくに止める。



 六十年以上も前の論説を持ち出したのは他でもない。この論説の意味するところは、今なほ本紙の報道姿勢の基準であり、規律でなければならない、と考へるからである。そのことは、先般の靖國神社前宮司による所謂「不敬発言」問題にも無論当て嵌まる。
 周知の通り、去る十月十日、靖國神社は宮司による社内での「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏洩」し、その責任をとって宮司が退任する旨を発表、各種マスコミ等も一斉に報道した。しかし、本紙は十月二十二日号で一段記事としてこの「事実」を伝へただけである。それは、「極めて不穏当な言葉遣い」とその録音内容が漏洩したこと、これが「暗い汚い事実」とまで断定できるかどうかはともかくとして、少なくとも明るく清らかな事実でないことだけは確かである。だから本紙は書かなかった。それが「伝統的品格の固守」と判断したからである。
 しかしながら、「その事のために重大なる事実を見すごすことのないやう」にと常に心掛けてはゐる。



 その見過ごしてはならない「重大なる事実」とは何か。それは、靖國神社の存在意義を歴史的理論的かつは感情的に支へる基盤としての根本教学の構築に向けてのさらなる研究が今こそ必要なことを、この「不穏当な言葉遣い」が極めて歪な形で社内はもとより広く社会に知らしめたといふことである。
 無論、戦後の靖國神社が「一社の教学」の構築に向けて、これまでに何らの取組みもしてこなかったといふのではない。「社報」や各種の神社刊行物等を通して、靖國神社ならではの教化・広報活動が展開されてきたことは大いに評価さるべきである。
 他方、靖國神社の教学構築に資すべき様々な立場からの研究や史資料の蓄積は膨大にあり、また各種の「靖國論」も多数ある。それらの中には神社をはじめ国民一般が参考とすべきものがあるにしても、御創立百五十年を来年に控へた靖國神社にとっての喫緊の課題は「靖國神社としての教学」を構築する営為である。そのための組織こそが前宮司が提唱して設置された「教学研究委員会」であった筈である。



 その委員会には外部からも委員が数名委嘱されてはゐるが、主体はあくまでも靖國神社に奉仕する神職である。そのことは「靖國神社社憲」前文からも自明である。前文には、「いやしくも本神社に職を奉ずる者は、……本神社御創立のよって立つ安國の理想の実現に一意邁進しなければならない」と述べられてゐる。
 今般新たに就任した宮司はもちろんのこと、靖國神社に奉仕する全職員が日々の祭祀厳修を通して「安國の理想の実現」の基盤となる「靖國神社の教学」構築に向けて一意邁進するならば、自づから御創立百五十年以後の靖國神社の姿は明瞭になってくる。新宮司の手腕が問はれる所以である。
 さすれば、「この年のこの日にもまた靖國のみやしろのことにうれひはふかし」との先帝陛下の御製に籠められた叡慮・大御心如何についても、きっと御祭神がお教へ下さる日が来るだらう。



 そのことを暗示するかのやうな葦津珍彦が書いた記事を紹介しておかう。
 前記論説と同じ紙面には「東条大将等の戦犯処刑者 靖国神社へ合祀可否の論」と題する「時局展望」が掲載されてゐる。そこには「靖国神社が、将来までも私的な宗教団体としての自由な伸び方を欲するのであれば、神社独自のイディオロギーか理論で、自由に断定して差支ない。しかし神社が公的性格を重しとすれば、慎重に国民の公論の定まるのを待つべきである」と書かれてゐる。この論の持つ意味の検討が「靖國教学」構築の新たなる第一歩であることは指摘するまでもない。
 いづれにせよ、この「時局展望」といひ、「論説」といひ、六十年以上経過した今もなほ精神的には「国家の宗祀」たるべき神社に奉仕する者の在り方を問うてゐることは確かであらう。さう思ふか否か。「万機公論に決すべし」の秋が到来してゐる。

平成三十年十一月十二日

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