文字サイズ 大小

論説 新嘗祭にあたり 「初穂を奉る」といふ営み

平成30年11月19日付 2面

 天皇陛下には、お手づから収穫せられた稲穂を伊勢の神宮における神嘗祭に際して献られ、宮中での新嘗祭においては新穀を聞こし召される。
 神宮での神嘗祭と宮中における新嘗祭は、それぞれ年間の恒例祭典のなかでも最も重要な祭祀といはれる。来春には御譲位が予定されてをり、いづれも今上陛下の御奉仕遊ばされる最後となることに一抹の寂しさを感じつつ、御即位三十年の佳節を迎へるにあたり、これまで営々と宮中祭祀をお続けになってこられたお姿を拝しつつ、神社人として慎んで祭祀に勤しむことを改めて誓ふものである。
 一方、各地の神社では収穫の秋を迎へ、稔りに感謝する祭礼が斎行されてゐる。秋の祭礼の風景は、旗指物を立て並べて神前に新米を捧げ、笛太鼓の音が鳴り響く中、住民こぞって喜び集ふ風景が思ひ起こされる。そしてその風景は、日本の原風景の代表的なものとして広く記憶されてゐるものだ。
 神社・神道は、わが国の稲作の歴史とともに時代を刻んできた。それゆゑに、「初穂」といふ言葉、また「初穂を捧げる」といふ行為には特別な意味があるといへるだらう。



 現在、「祈祷の初穂料」「神札の初穂料」などといふやうに、神社に奉納する金員を広く「初穂料」といふ言葉で表すことが一般的となってゐる。貨幣経済の成立以前には、神々への奉納は当然のやうに現物、すなはち米・野菜・魚介等であった。その「初物」が手に入った際には、まづ第一に神々に捧げて奉告し、感謝の意を示した。
 時代を経るにつれて、現物と交換性を持つ金員が奉納されるやうになり、現在ではさらにその傾向が強まって奉納・喜捨の行為は金銭でおこなふことが主流となった。神饌に替はる「神饌料」、幣帛に替はる「幣帛料」といふ表現もその反映であらうし、とくに稲作を中心とした農耕サイクルが神社の信仰と深く関はるがゆゑに、「初穂料」といふ言葉が定着したといへよう。また現物を供へる時に見た目を整へるやうに、金銭を祝儀袋・熨斗袋に入れ、「初穂を奉る」といふ古へからの慣例に思ひを致しながら、「初穂料」等と記して神前に奉ることが一般的な作法として成立したのではなからうか。



 しかし奉納や喜捨といふやうな概念ではなく、単に金銭の遣り取りとしてのみ考へる人たちは、かうした体裁などを顧慮しない。賽銭箱などは別としても、改まって神前に進むやうな場合にも、あたかも対価を支払ふ行為として、剥き出しの現金を差し出すやうな事例が見られるやうになってきた。「初穂料は祝儀袋に入れて」といった啓発をおこなってゐる事例もあるやうだが、至極当然なことであり、極論すればそれは、信仰・祈りに基づく行為について、本義に遡りながら現在の営みの意義を啓発するものといへる。
 一方で神社界の現状を見ると、これまでは地域を中心とした関係性のなかで、現物・現金を直接奉納することが一般的な状態にあったが、広域的な崇敬を集める神社で、また故郷を離れた人々に産土神への信仰を呼びかけるやうな際において、神符・守札等を郵便や宅配便で送り、郵便振替等によって初穂料を納入してもらふこともあると聞く。神札の郵送について可否が論じられることもあったが、今では教化事例として取り上げられるやうになってゐる。ただ郵便局や銀行などでの振込みといふ行為にあたって、どこまで「初穂」との意味が感じられてゐるであらうか。



 物々交換の時代以降、貨幣の普及に始まり、さらに金融決済から端末機器による電子決済へと、我々の経済活動における環境が変化してゐる。今後もかうした傾向が続き、近い将来において現金を持たず行動する時代が来たとき、果たして「初穂料」や「賽銭」はどのやうになっていくのか。
 御代替りののちの大嘗祭は稲作文化の象徴であり、「初穂」の意義を今一度確認する時ともいへる。今月末には「御大典奉祝に向けた教化活動」を主題とする神社本庁の全国教化会議が開催され、さまざまな意見が交換されるであらう。さうしたなかで直面する情報化社会のさらなる進展を考へた時、神道の原義ともいへる「初穂を奉る」といふ営みを如何に伝へていくのかといふことも、ぜひ論議していただきたいと切に願ふものである。

平成三十年十一月十九日

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧