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論説 本庁設立記念日 歴史の継承と「立春」の誓ひ

平成31年02月04日付 2面

 昭和二十一年二月三日に神社本庁が設立されて以来、七十三周年の設立記念日を迎へた。全国の神社では節分を機に正月の雰囲気も一段落を見せ、本格的な春の訪れを待つ折節となった。
 各地の社寺ではこの正月の間、全国的な「朱印ブーム」が叫ばれて久しい中、今年も朱印を求める多くの参拝者があったといふ。関連書籍も数多く出版されてをり、さまざまな朱印が紹介されてゐる。さうした書籍などを見ると、趣向を凝らした色取り取りの朱印などが注目されてゐる一方、達筆な文字に朱の押印がなされた文字通りの朱印も、昔ながらの存在感を示してゐるやうに感じられた。
 近年のインターネットでのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、とくに「インスタグラム」の普及により、携帯端末機器を利用して画像データが拡散され、瞬く間に珍しい朱印など神社の情報が広く配信されていく。そして、それを観たユーザーたちが挙って神社に押し掛ける、といふ流れもあるらしい。一部の神社に想定を超える人々が押しかけ、一筆一画を求めて何時間も列を作って待つやうな事態も生じてゐると聞く。



 今日、各社の朱印には独自の神社神道観が浮き彫りになってゐるやうにも受け取れる。朱印を通じて祭神の神威や神徳などの教化・広報が図られることで神社振興の一翼を担ひ、また一部神職の間では、その取り扱ひが宗教活動に当たるか否かといふことも話題になってゐるやうで、神道教学を考へる上での一つの重要な要素になってゐるともいへる。
 いづれにせよ朱印は信仰に基づくものであり、そこに神社振興や神道教化・広報の役割があるのなら、神社本庁が打ち立てる神道教学をしっかりと踏まへたものであるのが理想であらう。単に奇をてらっただけのものや、関係者の自己満足に陥るやうなことなく、常に神明奉仕の精神を忘れずに謙虚な姿勢で考へていきたい。それが神社本庁の「敬神生活の綱領」が掲げる「神のみこともちとして」の一筆一語に繋がり、ひいては神社神道の振興を通じてわが国の「修理固成」を担ふものでもあると信じたい。



 今から七十数年前は、今日の正月の賑はひからは考へられないやうな事態に陥ってゐた。終戦直後、全国の神社はまさしく「存亡の危機」に晒されてをり、連合国軍総司令部(GHQ)の顧問を務めた岸本英夫東京大学教授はのちに、「ことによると、神社は、その半数ぐらいは閉鎖させられるのではないか」との予想さへあったことを回想してゐる(『嵐の中の神社神道』)。神道指令といふ未曽有の厳しい占領政策下で神社本庁を設立し、全国神社が足並みを揃へて神社の伝統を守ることが如何に難しいことだったのかは、今日では想像もつかないかもしれない。
 神社本庁設立の目的は、あくまで全国の神社・神職を保全し、祭祀の伝統を守ることにあり、戦前の内務省神社局から神祇院へと受け継がれた事務を引き継ぐため、大日本神祇会・皇典講究所・神宮奉斎会の三団体が合併して難局に臨んだのである。そこには、大きな危機意識を抱いた先人たちの明確な理想と積極的な防禦とがあった。
 その神社が一私法人たる宗教法人となって七十余年が経過した。その現状は、あたかも先述したさまざまな朱印の如く、ややもすれば自由で独自な運営のみが目立つやうになってはゐないだらうか。各社が神道教学を見つめ直し、それに基づいて参拝者に神社信仰の本質を訴へかけていくためにも、今一度、謙虚に足元を見つめ直すことも重要な課題といへよう。



 神社本庁に対しては、かねて一部マスコミなどで「国家神道の復活を目論む団体」等々、旧体制復古を望んでゐるといった論評もなされてきた。一時鳴りを潜めてゐた感があったものの、近年、再びさうした視野の狭い偏向した論調が目立ってきてゐる。
 本庁設立の精神は、それらの単純で軽薄な言葉の羅列ではなく、悠久古来の歴史の連続性を保持し、神社の信仰を後世に引き継ぐことにある。そのことを改めて分かち合ひ、それこそ節分の豆撒きの如く、内外に向け大いに言の葉を発信したい。巷で叫ばれてゐる「平成最後」の立春の今日、御代替りに伴ふ新帝践祚を前に、誓ひも新たに見直し聞き直しをする秋だらう。

平成三十一年二月四日

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