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杜に想ふ できるもん 八代司

平成31年02月25日付 5面

 昨年暮れ、新聞紙面に「僧衣で運転 反則切符」「『法事行けない』反発」との見出しで、福井県内の僧侶が僧衣を着て車を運転したことにより交通反則切符が切られてゐたことが報道された。報道によれば「県道路交通法施行細則」に記載される「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないこと」との規定によるとのこと。しかしながら、僧侶は本山や弁護士に相談して、「僧衣でも安全運転できると裁判で主張したい」とし、反則金を払はず、督促にも応じてゐないと書かれてゐた。私も仏教界にも知己が多く、また構造は異なるが神社界の方々も白衣袴姿で運転されることが多いのは存じてゐるため、今後のことの成り行きを注視してゐた。
 するとその後、年明けのテレビの情報番組では驚きの光景が広がった。それは動画投稿サイトに「#僧衣でできるもん」として、僧衣姿の僧侶が縄跳びや綱渡り、ジャグリングなどを披露して話題となってゐるといふものだった。いづれも実に芸達者で、各宗旨宗派で著装する僧衣の形状に差はあるものの、裾や袖の安全性を強調するには充分なパフォーマンスの数々であった。そして、これらは海外でも日本の僧侶の取組みとして注目を集め、これらが効を奏したからかは不明であるが、先月末に福井県警は「違反事実が確認できなかった」としてこのたびは送検しないとの方針が明らかにされた。
 諺の「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではなく、当の警察官も職務に極めて忠実であっただけで、道路交通の安全に努めることが大切なことは至極当然ではある。しかし、この一件から新たに考へられることはいくつもある。仏教界の有志により、宗旨宗派の枠を超え、趣旨に賛同したそれぞれが自分自身得意とすることを自前の携帯電話などで手軽に撮り、動画として自発かつ多発的に投稿することによって、逸早く世間に問題提起をして注目を集め、結果、相応の目的の成果を得ることができたこととして興味深い。
 例へばこれは、「意見広告」として新聞や雑誌などで広告料金を払って主義主張を掲載するといった従来からよくあるものとは大きく異なる。主張者が明確であることはもちろんのことながら、なによりも多くの人の注目を一気に浴びることができた。また僧侶の姿だからこそ注目を浴びたのであるが、これは現代社会でも僧侶が聖職者として認識されてゐることが再確認されたといふことでもある。
 さてこれが検挙されたのが出張祭典を奉仕する神職であったなら、神社界はどうであったらうか。発想とフットワークの軽さ、聖職者としての重みや品格などなど……。はたして「#神主だってできるもん」と成り得たであらうか。
(まちづくりアドヴァイザー)

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