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論説 建国記念の日を終へ 先人の熱い思ひの継承を

平成31年02月25日付 2面

 二月十一日の「建国記念の日」にあたり、天皇陛下には宮中三殿での御拝に臨ませられ、初代・神武天皇を奉斎する奈良・橿原神宮では、勅使を迎へて紀元祭が斎行された。各地でも「建国記念の日」を奉祝する式典など各種催しがおこなはれてをり、また天皇陛下御即位三十年の節目にあたる今年は、「建国記念の日」にあはせて御即位三十年の奉祝大会などを開催したところもあったやうだ。
 このうち神社本庁が参画する「日本の建国を祝う会」では、都内で奉祝記念行事を開催。午前中には原宿・表参道で奉祝パレードがあり、約七千人が参加した。当初は降雪も心配されたが、多少の粉雪が舞ふ程度で天候が大きく崩れることはなく、予定通り盛大にパレードをおこなふことができた。例年以上に寒さ厳しい中を元気に参加してくれた子供たちにとって、かうした体験が「建国記念の日」の思ひ出として記憶に残ってくれればなによりである。また午後には、各界の代表や世界二十四カ国の在日外交団を含め約千二百人が参会のもと、明治神宮会館で奉祝中央式典が挙行され、髙橋史朗氏による記念講演などもおこなはれた。
 編輯部には各地での催しの様子なども届き始めてをり、平成最後の「建国記念の日」は、それぞれに有意義なものとなったやうだ。関係者の尽力に対して、改めて深く敬意を表するものである。



 振り返れば戦後まもない昭和二十三年、GHQによる占領下で制定された「国民の祝日に関する法律」において祝祭日が改変され、二月十一日の紀元節は廃止された。その後、神社界も力を注いだ「紀元節復活運動」が結実し、昭和四十一年に「建国記念の日」として復活した。翌四十二年の初めての「建国記念の日」、当時の本紙によれば前日から降りしきる雪によって「満都白一色に浄められて奉祝の日を迎へた」といふ。掲載写真には「吹雪をついて溌溂と行進する若人たち」との説明が附され、「奉祝 建国記念の日」と書かれた横断幕を高々と掲げ、整然と行進する学生たちの凛々しい姿が写し出されてゐる。
 この日、日比谷公会堂での奉祝大会にあはせ、都内の大学生や高校生、神社関係のBS等々が都心部の約二キロを行進する奉祝パレードを実施した。紀元節廃止から約二十年、「紀元節復活運動」を経て「建国記念の日」として復活を遂げた二月十一日の佳節を奉祝した先人たちの熱い思ひは、「吹雪の中の奉祝パレードの強い感銘を胸に包みながら若人たちはそれぞれ家路についた」との本紙記事からも伝はってくる。



 それから五十有余年を経た今、吹雪の中を行進した当時の学生たちにとって、今年のパレード参加者たちは孫や曽孫の世代にあたる。この間、昭和から平成へと時代が移り変はる中、神社関係者を含め民間有志による「建国記念の日」の奉祝記念行事が連綿と続けられてきた。一方で、政府主催の奉祝式典等は未だ実現せず、首相参列のもと政府後援の式典が開かれてゐたこともあったが、それも現在は取り止めとなってゐる。
 また平成二十四年の衆議院議員選挙にあたり自由民主党は、政府主催で二月十一日の「建国記念の日」を祝ふ式典を開催するとの考へを示し、平成二十六年の奉祝中央式典で祝辞を述べた高村正彦自民党副総裁(当時)も、建国記念の日の式典のあり方について党内で議論を進める旨を述べてゐた。しかし残念ながら、その後は具体的に何らの進捗も見られず、今年の式典で祝辞を述べた萩生田光一自民党幹事長代行も、政府主催の式典開催などに言及することはなかった。



 かうした現状は、五十有余年前に紀元節復活を成し遂げた先人たちにとって、予想だにしなかったことではなからうか。ただ、それでも学生や子供たちを含め、これまで大勢の人たちが関はり、世代を超えて受け継がれてきた二月十一日の「建国記念の日」の奉祝記念行事を地道に続けてきたことの意義は決して小さくはないだらう。
 平成最後の「建国記念の日」を終へた今、政府主催の奉祝式典が開催され、名実ともに国民挙って「建国をしのび、国を愛する心を養う」日を迎へることができるやう、民間による奉祝記念行事の実施を含め、今後とも広く啓発活動を展開し続けていくことを誓ひ合ひたい。

平成三十一年二月二十五日

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