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杜に想ふ 信仰の記憶 神崎宣武

平成31年03月25日付 5面

 栗駒山麓(宮城県栗原市)を巡ってきた。
 東北本線の石越駅から棚倉鉱山まで、かつては栗駒電鉄(当初は、栗原軌道)が通じてゐた。もとは軽便鉄道(軌間七百六十二ミリ)であったが、昭和三十年(一九五五)に広軌鉄道(軌間千六十七ミリ)となった。が、間もなく三菱系の鉱山が閉鎖することになり、鉄道の利用が激減した。もとより、鉱山関係の貨物と労働者を運ぶためにできた鉄道であるので致し方ないことだが、それでも沿線の人たちの存続希望が強く、第三セクター(くりはら田園鉄道)として平成十九年(二〇〇七)まで存続した。
 現在、旧若柳駅構内を使って、くりはら田園鉄道公園(動態博物館相当施設)が整備されてゐる。それは、幸ひな保存体制であった。が、地方の軽便鉄道の類は、多くがたどりにくくなってゐる。
 今回は、私ども旅の文化研究所での「軽便鉄道と森林鉄道」をテーマにした共同研究スタッフ三人と一緒であった。当然のことながら、関連の資料や関係者からの聞きとり調査に時間を費やした。私もそれに立ち会った。
 私には、とくに「信仰」についての興味があった。近代産業のなかでも、旧来の信仰が生きてゐたのだ。信仰行事が伝へられてゐたのだ。それが、ほとんどかへりみられなくなり、職場から神棚が消えたのは、昭和も経済の高度成長期以降である。大ざっぱにはさうであるが、業種によって違ひもある。その歴史を、せめて記録にとどめておかなくてはならない、と私は思ってゐる。
 まして、人命をあづかる鉄道であれば、安全祈願の神事は不可欠のはずである。
 「さういへば、地元の神社の神主さんが、お祓ひに来てゐたなあ」
 その人は、七十四歳。私と同年で、高校卒業後からずっと栗駒電鉄に勤めた。定年を一年延長して、廃線まで勤めた。
 「駅と電車の中には神棚はありませんでした」、ともいった。
 神棚は、本社内と工場内にあった。本社の建物はすでにないが、工場は残ってゐる。そして、神棚も残ってゐた。ただし、棚跡だけで御幣も神札もない。火の神が祀ってあった、といふ。それは、鉄路や車輛の熔接などで火を使ふことが多かったからだらう。と、その場にゐた関係者はいふが、その場でそれ以上のことは確かめられなかった。
 乗務員の詰め所にも神棚跡があった。しかし、そこに毎日出入りしてゐた人でさへ、乗車前に柏手を打ってゐたといふこと以外の記憶は薄らいでゐるのである。
 このことは、民俗学の分野でも、残念ながらほとんど注目されないできた。
 私は、次回は一人で再訪することにした。そのことだけは、時間を急かずに人びとの記憶を呼びもどして記録しておきたい、と思ふのである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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