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杜に想ふ 音は気配 涼恵

平成31年04月01日付 5面

 水の音で振り返る。鳥のさへづりで天を仰ぐ。音。それは目には見えないものだけれど、私たちの日常の中でとても多くの情報を伝達してくれてゐる。
 私にとって旋律は道筋。暗闇に白く浮かび上がる一筋の光のやう。歌とはその調べを唇にそっと乗せて現実世界に波動を送る。なんとも言へない振動と循環とがそこには生まれ、人間の感情を超えた透明な心に触れる。個の存在はただの通過点となり連綿と受け継がれてきた命、そして自然の中で豊かに育まれてきた、生きとし生けるあらゆる命と呼応し始める。
 深層心理の記憶や本心が歌を歌ふことで、風が吹き抜けたかのやうに心に通り道ができ、奥底から表面へと浮かび上がる。自分でも意識してゐなかった自分を知ることができる。コード一つでその表情は変はる。マイナーやメジャー。一音混ざるだけで、悲しみや喜び、怒りまでも表現できる。声を発する息の量や力の強弱、音圧や響かせる場所で喜怒哀楽を表現する。その微妙な調整が繊細で顕著でたまらなく稽古のやり甲斐がある。一日中歌ってゐられるほどに没頭してしまふ。周波数や集音域、指向性、建物との共鳴にも大きく左右され、声の可能性とは果てしない。
 祈りも音楽も目には見えない。それなのに、確実に存在し、人の心に影響を与へることができる。この神祕は真実であり、私はこの道に生きてゐる。オカルトチックなことでもスピリチュアルなことでもなく、ごくごく自然なこと。
 ある人からこんなことを言はれて心が萎んだ。「貴女が歌ふことや祈ることで、私の人生にどれほどの良い影響を与へてゐるのか教へてくれ。目に見える形でちゃんと証明してくれないと、その効果なんて伝はらない」「歌は自己主張の極み。自分を見てほしい、わかってほしいといふ自己演出が鬱陶しいし痛々しい」。確かにその通りなのかもしれない。だけれども、私は祈り歌ふことを続けてゆきたい。効果や影響がどれほどのもので、良い結果をもたらすのか否かは、残念ながら知り得ないけれども、その方の幸せを陰ながら祈ることならできると信じてゐる。
 ずいぶんと私的なことを書いてしまひ、もしも読んでゐて気分を害した人がいらしたら心からお詫び申し上げたい。ただ、筆を進ませようと文字を選ばうとしても、弱ったことに今綴ってゐる内容しか出てこないのだ。これも一つの自分の恥と告白としてここに記したい。もしかすると読者の皆様の中にも「祈ること」「感じること」について、誰かにそしりや批難を受けた人もいらっしゃるのではないだらうか。
 何が正しくて真実なのか、答へを知らうとすることすら、をこがましいのかもしれない。ただ今日も気がつけば、御神前に手を合はせてゐる自分がゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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