文字サイズ 大小

論説 評議員会の審議充実を 本庁憲章の理念を再確認し

平成31年04月29日付 2面

 まもなく、践祚改元といふ大きな節目とともに五月を迎へる。この御代替りの諸行事を全国の神社では謹んで慶祝しつつ、それに伴ふ大連休による参詣者にも意義ある教化対応を配慮して、喪無く事無く践祚の御儀を拝してゆきたいものである。



 この一連の重儀と連休が一段落する間もなく、神社界は青葉会議の時節となる。神社本庁評議員会を中心とする五月の諸会議は、全国神職会(その後の大日本神祇会)の時代から「青葉会議」と呼ばれ、戦後の宗教法人神社本庁設立後もその呼称が継承されつつ、神社界の最高決議機関としての役割を担ふ会議となってきてゐる。
 殊に本年は、改選期に当たり、各都道府県から新たに選任された評議員による会議である。御代替りに併せて今後の神社界が進むべき方向を、改めて再確認すべき重要な時期に当たってゐるのであるから、実のある有意義な会議が営まれることが期待されよう。
 さうであれば、評議員各位はもちろんのこと、その評議員を選出した各神社庁の関係者一同もまた、現在の神社本庁といふ組織のあり方を、基本に立ち帰って再認識し、設立以来の七十年を超える年月に、その機構や運営に傷み損なはれるところがなかったか、あるいはその実務や業務の執行に緩みや遺漏は生じてゐないかを、十分な目配りをし、わが国の国体と神社の伝統を護持してゆく上に欠かせない神社界の力の結集のために、ふさはしい組織としての神社本庁のはたらきを具現化するための発議のできる会議を展開してほしいと願ふものである。



 かうした議論をするときに、しばしば「設立の原点に帰って」「本来のあるべき姿を認識して」などと指摘される。神社本庁にとって「原点」「本来の姿」とは何なのだらうか。制度的に神社本庁は「宗教法人」である(傘下の各神社も同様)。この「宗教法人」であることが、本来の姿なのであらうか。
 占領軍による神道指令から宗教法人令施行のもとで、この法人格を取得して運営することで、神社の存続が可能であったから選択された道であったのであり、別に「神社法人」といふ概念規定ができればそれが望ましいとの考へもあった。だから「宗教法人令」が「宗教法人法」に切り替へられ、文部大臣のもとに「宗教法人審議会」が設置されたときには、まづこのことが提示された。だが、他宗教や当時の世論は厳しく、それに対処して提示されたのが「神宮の御鏡」問題(神宮真姿顕現論)であった。神宮の御鏡は皇位と密接な関係にあり、一法人が法人としていかに決議しようと自由に処分できるものではないとの政府答弁を得て、神宮が宗教法人ではあっても、民間の法人としての権限を超越した役割があることを認定させることができたのがこの問題提起でもあった。
 昭和五十年代に「神社本庁憲章」が多年の論議を踏まへ制定されたが、この議論の中でも、宗教法人の包括・非包括の関係と別の次元に「神宮」を「本宗」と仰ぐ神社界の団結のあり方が再認識され、また個々の神社もまた境内地等の扱ひについて、単なる法人の財産といふより、祭祀のための公的な資産と認識すべきだとの考へから、財産処分等に関する統理の承認手続きへの理由づけもなされたと言へる。



 本庁がこの「憲章」的な団体として個々の神社を指導垂範するには教学こそがその裏付けとなる。一方、包括法人として非包括神社を指導するには宗教法人法の強制力を借りることとなる。現実に地方には不活動法人や不適切な法人運営の存在があり、後者的な指導が重視されるのは止むを得ないところもあるが、本庁の中央組織自身の運営には前者の立場が堅持されてゆかねばなるまい。
 しかし斯界の活動のなかで、本庁憲章制定以降も、財産管理や人事の問題において、前者的な配意が縮小し、後者の理窟が優先してゐるかの疑念を与へかねない事例も見受けられるのではなからうか。教学推進への意慾減少や、養成研修制度の形骸化も心配である。
 教学を中心とした本庁の指導力のためには、神社が神社たる所以を理解し、一致団結することが必要なことは論をまたない。国会で見られる与野党間の無意味な議論立てのやうな対立が、神社界では不必要なことも当然である。

平成三十一年四月二十九日

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧