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論説 御代替りの社頭で 先例の理念理解し施策検討を

令和元年05月20日付 2面

 四月三十日の御譲位により今上陛下が五月一日に践祚され、令和の時代が始まった。各神社では、践祚改元奉告祭を斎行して大御代の弥栄を祈念し、また社頭にも多くの人々が訪れて祈りを捧げてゐた。
 社頭での拝礼のほかに、ブームとなってゐる朱印に関しても多くの人が社寺を訪れ、新元号「令和」の文字が記入されたものを拝受する姿が見受けられたといふ。また前日の四月三十日に「平成」最後の朱印を受け、翌五月一日に「令和」最初の日付の入ったものを、朱印帳の見開きに受けようとする人も多くゐたやうだ。さうした各社頭での参拝風景は、あたかも新年正月の初詣風景と重なる部分があり、人々の交はす挨拶についても「令和、明けましておめでたうございます」といったものが聞かれた。
 今年の新春一月二日の皇居一般参賀に続く人出を記録した五月四日の参賀風景も、気象的温暖の差はあったが、同じく新たな時代を寿ぐ正月の情景と重なる部分を見ることができた。



 大晦日から新年に至る時の流れは、物理的法則からいへば通常と同様に刻まれてはゐる。しかしながら、例へば平成三十年から平成三十一年といった数字の変化のみの一瞬でさへ、時の流れが変化し、すべてが更新されたやうに感じられ、新しい年を迎へた感慨が沸き上がる。今回の御譲位から践祚、そして「平成」から「令和」への改元となる四月三十日から五月一日にかけては、ただの数字の変化だけではなく、その数字のもととなる基準、すなはち元号が改まる瞬間であり、今時の若者言葉でいふならば、「超正月」といふやうな瞬間の訪れであったといへる。
 これまでの憲政史上における践祚改元は、先帝の崩御による践祚で訪れるものであり、その期日を予期することなどは不可能で、かつ深い悲しみをともにしてゐた。しかし今回は御譲位・践祚改元の期日が確定され、万全の準備のもとにその日を迎へることが可能であった。つまり、新たなる御代を迎へる瞬間を寿ぐために準備を進める必要があったが、果たして全国の神社はこの「超正月」に対して如何に対応したのであらうか。



 各種報道を見ると、国家的イベント時に若者が蝟集する東京・渋谷駅前のスクランブル交差点や大阪の道頓堀などでは、午前零時のカウントダウンなどで、いつものやうに大勢の若者が集ふ状況が見られたやうだ。神社界では、「令和」の典拠となった『万葉集』ゆかりの福岡・坂本八幡宮の参拝風景などが報じられてゐたが、全般的には朱印を待つ列の長さが報道されることが目立つ状況であった。
 皇室の慶事にあたり、神社界として奉祝の意を表することはあまりにも当然のことであるが、その奉祝の思ひを社頭に集ふ人々と共有し、神威発揚と皇室国家の弥栄を祈る営みが十分にできる環境にあったのか、少し疑問を抱かざるを得ない。さうした意味では、例へば践祚改元奉告祭の通知や奉祝幟の掲揚、書類等における新元号「令和」使用の時期など、何故そのやうな考へに至ったのかも考察すべき重要課題とならう。
 すなはち、新元号の事前発表の可否は別としても、践祚改元の期日が決まり新元号が発表された状況下において、我々神社人の信仰の営みの中でいかにそのことを解釈し、実践に移すかを各自が教学的に思慮し続けることが要求されてゐたのではなからうか。



 今回の御譲位・践祚改元は憲政史上初のことであり、これまでの大正・昭和・平成における例をすべて踏襲することはできない。「令和、明けましておめでたうございます」といった挨拶を交はすことは諒闇をともなふ御代替りには想像もつかず、神社界の活動を考へる際には、さうした状況を踏まへた施策も必要とならう。先に触れた「超正月」との関連でいへば、四月三十日には蕎麦店での年越し風景のやうな報道もあった。さうしたことが御代替りに相応しいのかは疑問だが、すでに現実におこなはれてゐるのである。
 今後の即位礼・大嘗祭に関しても、ただ漫然と先例に倣った取組みをおこなふだけではなく、その意図する教学・神学を理解した上で、御大典奉祝の真心を社頭に集ふ人々と共有し、神威発揚と皇室国家の弥栄を祈る営みができる環境作りに励まねばならない。

令和元年五月二十日

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