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杜に想ふ 株まつり 神崎宣武

令和元年05月27日付 4面

 連休の最終日の五月六日に、竹井株の「株まつり」を執りおこなった。
 私の郷里、吉備高原上の農村部には、株神として摩利支天神(摩利大神)を祀る。摩利支天神は、軍神とされる。それを農村部で祀るのは、中世のころ山城の麓を半農半士の郎党が拓いたことのなごりであらう。近世となり、身分は農民となったものの、もう一方の出自を軍神にとどめたのである。
 いはゆる本家分家関係の同姓の者たちが年に一度集まって株まつりをおこなふのだ。時期はほぼ大字単位で祀る氏神、ほぼ小字単位で祀る産土神(産土荒神)の祭礼が終はった十二月後半である。氏神を社縁神、産土神を地縁神とすれば、株神は血縁神といふことになる。吉備高原上の農山村では、秋から暮にかけてこの三層のまつりを伝へてきたのである。
 竹井株の株まつりは、七年間中断してゐた。もともと戸数の少ない株だった。四戸のうち二軒が他所に出て、残ったのは二軒だけ。もうこのまま絶えるだらう、それもいたしかたないか、と思ってゐた。
 ところが、気候のよい五月の休日に株まつりを復活したい、との連絡があった。ただし、当番祭はおこなはず、神社での祭典だけにしたい、とのこと。ちなみに当番祭とは、当番(一般的には、頭屋)の家に祭神を勧請し、新調した御幣や神札を神床に祀り、神饌を供して祭事を執りおこなふものである。それから宮上りをして、本祭典と相なるのだ。この地方では、当番制もこれまでよく伝承されてきた。
 その当番制のそのままの維持がむつかしくなってゐる。高齢化と過疎化がここまで進んだところでは、いたしかたのないことである。
 「神さまは、不平はおっしゃらない」
 私は、さう答へることにしてゐる。簡素化があらうとも、まつりを失くするよりはよい、といふ立場をとってゐるのである。
 右の竹井の株まつりは、よくぞ復活できた、といふべきであらう。そこに残って家を継いだ二人は、共に五十歳台後半。その二人が相談して、他所に出た二人に声をかけた。
 株神の社は、集落の上方の山の中にある。私がそこに着いたとき、四人の男たちが汗びっしょりの作業衣姿で出迎へてくれた。社の掃除や周辺の草刈に早朝からたづさはってゐたからである。
 神社は、正面に三段の神座、その前に三畳の床の間。そこに、私と四人が座ると、ほぼいっぱいである。
 祭典が終はった後の直会。二人が作法どほりに粛々と神飯と神酒を給仕する。作業衣をはたいただけだが、それでいいのだ。衣装もさることながら、さうした作法が尊いのだ。そのことを誉めたら、四人がじつにさはやかに微笑んだ。
 「来年からは、間をあけないやうにやっていきますから」
 令和のはじまり、是好日であった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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