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論説 聖上お田植ゑ 稲作と祭祀の関係を見つめ直す

令和元年06月10日付 2面

 前号に掲載の通り、天皇陛下には五月二十日と二十二日の二日間に亙り、皇居内にある水田でお田植ゑに臨ませられた。
 宮中での稲作りは昭和二年に昭和天皇がお始めになられ、上皇陛下にはその大御心を受け継がれて、平成二年から御播種の新例も開かれた。そして、天皇陛下にはこのほど、上皇陛下が四月にお手播きになられた種籾から育った糯米と粳米の稲苗により、お田植ゑを遊ばされたのである。
 例年、秋に収穫された稲は根付きのまま伊勢の神宮における神嘗祭に、また宮中神嘉殿での新嘗祭にお供へされてきた。今年は践祚にともなふ大嘗祭の斎行が予定されてをり、先日の斎田点定の儀によって定められた悠紀地方(栃木県)・主基地方(京都府)から新穀が奉献されることとなる。また各都道府県からも、庭積机代物として種々の産物が献納される。さうした特別な年の陛下によるお田植ゑにあたり、まづは改めて全国各地における秋の豊かな稔りを祈念したい。



 昭和天皇が宮中での稲作りを始められてから、すでに九十年余の歳月が経過した。この間、産業構造の変化などにともなひ、わが国の稲作をめぐる状況は大きく変化してゐる。さうしたことは、平成度の大嘗祭以降の三十年間だけを見ても、農業就業人口が六百万人から百八十万人にまで減少し、農業従事者の高齢化や、就業者全体に占める割合の低下が顕著となってゐることからも明らかである。もちろん、今でも米がパンや麺類を抑へて主食であることに変はりはなく、世界に目を向ければ、和食に対する関心の昂りもある。
 ただ時代の移り変はりのなかで、国民の多くにとって稲作などの農業が、日々の生活から次第に縁遠いものとなってゐることは事実であらう。
 一方、神社界における信仰的な面からいへば、瓊瓊杵尊の天孫降臨に際して皇祖・天照大御神は、「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が兒に御せまつるべし」と勅され、高天原の稲穂を授けられた。稲作はこの「斎庭の稲穂の神勅」の実践であり、各地の神社では春には収穫を祈る祈年祭、秋には豊かな稔りに感謝する新嘗祭が、それぞれ厳粛に執りおこなはれてきたのである。



 かうしたわが国の稲作文化を象徴するともいへる大嘗祭について、國學院大學名誉教授の岡田莊司氏は古代から一貫して稲とともに粟が供へられてきたことに着目。飢饉対策や稲の代用としての粟の意義、さらには国民が粟を食べないと生きていけなかったといふ事情などにも触れて、大嘗祭にこめられる天皇の祈りに、五穀豊穣と災害予防があるとの考へを示してゐる。さうしたことは、大嘗祭が国民の日々の生活と密接かつ切実に関はるものであったことを裏付けるものともいへるのではなからうか。
 宮中では稲に加へて粟が育てられてをり、上皇・上皇后両陛下や天皇・皇后両陛下をはじめ皇族方がお刈取り遊ばされる御様子が、菊葉文化協会の皇室紹介ビデオ『天皇皇后両陛下の一年~ご譲位を前にされて~』(平成三十年製作、政府インターネットテレビで視聴可)でも紹介されてゐる。また宮内庁ウェブサイトによれば、収穫された粟は、稲とともに宮中での新嘗祭において供へられたといふ。
 稲作など農業をめぐる環境が変化するなか、今後、何を守り伝へていくべきなのか。大嘗祭を今秋に控へた今、稲とともに粟が供へられてきたことなども踏まへつつ、改めてしっかりと考へていく必要があらう。



 御代替りにあたり、一代一度の大祀として新帝陛下が御親祭される大嘗祭には、国民の日々の営み、その生業を映した祈りがあり、衣食住といふ人間社会の根本が凝縮されてゐるともいはれてきた。そこには、御歴代が常に国民の生業への深い思召しのなかで、国安かれ民安かれと祈られながら国を知ろしめしてこられたといふ、古代以来のわが国のあり方が象徴的かつ具体的に示されてゐるともいへる。
 国民の生活が著しく変化するなかで、大嘗祭の意義をいかに考へていくのかが、今後の重要な検討課題の一つではなからうか。それはまた、神社祭祀のこれからを見つめ直すことにも繋がっていくだらう。

令和元年六月十日

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