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杜に想ふ 雨季の花嫁花婿たちへ 植戸万典

令和元年06月17日付 5面

 六月。巷説にこの月の結婚は幸せになれると聞く。六月の「June(ジューン)」がローマ神話における結婚の守護神ジュノーに由来するかららしいが、「June」の語源には諸説あり、眉唾の感も否めない。少なくとも、六月に挙式された天皇・皇后両陛下がお幸せさうなのは、異国の女神のお蔭ではなく、両陛下のお人柄であらう。
 とはいへ、無邪気な験担ぎも可愛いもの。日本では陰鬱になりがちな雨季に一片の彩りが式に添ひ、ブライダル業界にもありがたい。梅雨明け頃の土用の丑の日に、その食材が絶滅危惧種となっても歯牙にもかけない食文化よりよほど健全だ。
 鰻は他人の財布で食べるとより旨いが、婚姻は他人事ではない。いつ結婚しようと、結婚生活を幸せにするのは己と配偶者の二人だ。もっとも、結婚しなくても幸せになれる時代にそれでも結婚したい相手と御縁があったなら、それだけでも幸せ者である。これを絶滅危惧種にはしたくない。
 昨今はその婚姻を、同性間にも法的に開くべしとの議論も盛んだ。賛否あるやうなので本稿でその是非には触れないが、どうあれ多数者も少数者も共に幸福であってほしい。ただ一学徒として想ふのは、別姓問題も含め婚姻制度を考へるときは一度「イヘ」の制度史をおさらひしても良いのではないかといふこと。元来「イヘ」とは、家産と家業、そして祭祀を伝へるものだった。
 法制上の問題は一旦措くとして、挙式自体は法と直接に関はらない。しかし、世のどのやうな儀式であっても神前に額づくのであれば、何に畏み、何を誓ひ、どのやうな加護を願ふかが本義だらう。儀式の設へもそれに則り用意される。
 神前婚は明治以降そのフォーマットを確立させた儀式だが、価値観の多様化した現代、今あるその様式が当の両性両家の誓ひと願ひに見合ったものか、都度問はれてゐる。それは神前婚だけに限らない。祝詞が祭典ごとにオーダーメードであることを考へても、我々は神前で既存の型に嵌まらうとするのではなく神へ真摯に向かひたいし、真摯な心に沿ってゐるからこそその儀式は意味がある。神事は単なる「コト消費」ではないのだ。
 そのうへで敬神の念のもと挙式するなら、六月の女神に祝福を頼むのも悪くないが、立場上やはり日本の神々を推したい。ただ太初のカップルを見れば、千人殺すの千五百人産むのと喧嘩別れで悩ましいところだ。しかしそれも、酸いも甘いも噛み分けたヴェテランだと考へることもできる。それに『日本書紀』正文ではその二神は添ひ遂げたはず。第一、ジュノーと同一視されるギリシャの女神ヘラも、夫神ゼウスと口論は絶えなかった。
 梅雨はまだ暫し続く。しかし雨の後は、幸せ者の両人を祝ふ虹が立つことを祈りたい。
(ライター・史学徒)

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