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杜に想ふ 遙拝への敬意 神崎宣武

令和元年06月24日付 6面

 私が小さな書斎を設けてゐる谷中(東京都台東区)は、典型的な下町である。仏寺や墓地が多いことから、寺町ともいはれる。近年は、ここを散策する外国人が増えた。とくに、西欧系の人が多い。
 最近、こんなできごとがあった。私の散歩道の一画に小さいながら新しい神社がお目みえしたのである。たった二坪ほどの三角形の土地で、以前は荒れるにまかせてゐた。
 じつは、そこは富士山の遙拝所なのである。塀にアクリルの案内板が取り付けられてゐて、以下のやうな説明がある。
 「黒ボクと呼ばれる富士山の溶岩を置き、大きなものは富士山を象り、浅間神社を祀り、富士詣ができるようにしたのです。(中略)『谷中富士』という名前をいただき、皆様がお参りできるよう周りを整備いたしました」。
 それが、昨年(平成三十年)の六月のことである。
 それまで、そこは「お稲荷さん」の社地と言ひ伝へてきたさうだが、誰も頓着しなかった。当代もよく知らぬまま、そこを整地しようとしたら熔岩がでてきた。さらに、浅間神社の銘の入った銅板の小鳥居がでてきた。それで、念のためにと浅間神社(北口本宮)を訪ねたさうだ。
 それで、そこが浅間講の拠点でもあった、といふことがわかった。さうした経緯があって、あらためて浅間神社を祀り直したのである。
 特筆すべきは、その案内板に英文が刻まれてゐることである。
 西欧系の人たちが、ほとんど例外なくその前で立ち止まって、案内板を読む。
 私は、たまたまそこを通りがかったときに、質問されたことがある。「あの富士山がここから望めるのか」と。
 「昔は望めたのだ、富士見坂とか富士見台といふ地名が現在も残る」と、拙い英語で答へた。すると、彼は、社の前にたたずんで神社に拝礼するではないか。春先なのにTシャツ姿で、腰に上着を巻いてゐる。しかし、そこにはさほどの違和感がなく、まはりの風景にも奇妙になじんでゐる。
 そんな彼らの姿を目にした日本人も、あらためて富士山遙拝を意識するやうになった。御近所では、浅間講を復活させようか、といふ話まででてゐるらしい。
 いふまでもなく、日本列島での原初信仰は、自然信仰であった。そして、祖霊信仰であった。とくに、山容の美しい山を望んで神霊を仰ぐ、その信仰が篤かった。神社建築が広まる前の原初神道のかたち、といってもよい。
 それが一般には忘れられようとしたときの、ほとんど予期しなかったできごと。内外いづれの立場にあっても、文化に対する敬意の潜在とその表徴。俗な言葉ではあるが、まだ捨てたものではない。
 うれしいできごとであった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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