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杜に想ふ 命は複合体 涼恵

令和元年07月01日付 5面

 先日、いつもお世話になってゐる宮司さまからとても腑に落ちる表現をお伺ひすることができた。「自分の命を単体で考へてゐるうちは、小さなことしか果たせない。命は複合体なんだ」。
 重なる命。この生のなかに私ではない誰かの生が重なってゐるのを感じるのはなぜだらう……。幼い頃から抱いてゐたこの感覚が、宮司さまの言葉と合致した。
 例へば見知らぬ街なかで、ふと“あっ、私以前ここに来たことがある”と記憶が私に知らせる。自分の感情とは別のところに存在してゐる確信。皆様にもそんな経験はないだらうか、初めて逢ったやうな気がしない人。なぜか懐かしい景色。職業柄、地方に行かせていただく機会が多いが、そんな場所や人に出逢ふ。それはやはり御縁あってのことなのだと思ふ。どんな場所でも導かれて、その瞬間をいただいてゐるのだと頭が下がるばかり。
 第一印象からどこか苦手意識を抱いてしまふ人がゐたとする。しかしもっと複合的にその人を映し出すと、どこかしら自分自身の苦手な何かと共通する、もしくは、抱いてゐた不信感が遠い記憶と相交はって、時間が経つほどに親睦が増す。
 みんな自分勝手に生きてゐるつもりでも、実は単体ではない。生かされてゐる。我儘に生きてゐながら、それがちゃうど良い塩梅で、お付き合ひの幅や人間味を深めてくださってゐたりと……不思議なものだ。
 だからこそ、より「恩頼」といふ言葉の意味の深さに感動を覚えてしまふ。頼るとは信頼。自分の命をいただいた、その御恩を信頼する。恩とは、繋がりがないと生まれない関係。一人では得られないもの。恩は単体では生じない。信頼も然り。御霊が増えるといふ意味でもある恩頼をこの漢字二文字で表してゐることが、しっくりくる。
 総合体のなかでの私。個ではなくて総合体のなかに私は存在してゐる。昨今、御祈祷祈願のなかで国家安寧、神恩感謝を希望される方が減ってゐると聞く。商売繁昌や家内安全がやはり多く、国家安寧や世界平和は、自分に直接関はりのある祈りのやうに感じられないさうだ。果たして本当にさうだらうか……。個は国のなかにあり、国は世界のなかにある。近道なやうで遠回り。遠回りのやうで、直に繋がる道。
 “一度きりの人生だから”こんな見出しを街なかで見つけた。確かに一度きりの人生、限られた命。ただ、個人的な感覚かもしれないが、その前後にも見えない道が確かに存在してゐるのを感じてゐる。歴史に鑑みても、一代で終はらず、三代以上に亙って果たした目的や功績などは如何ほどもある。一代きりでは果たせない大事がある。
 だからこそ、長い歴史を織り重ねてきた神社の尊さを感じて已まない。人一人の命は儚く短いものだから、命を重ねて、悠久の時の一部となれたらと願ふ。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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