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杜に想ふ 神様の温度 涼恵

令和元年08月05日付 6面

 風に頭を撫でられてゐるやうな感覚、皆様にも覚えがないだらうか。
 温度。温もりやその熱。神様の気配を肌で感じる時、そこには確かに温度を感じる。冷たさも暖かさも。四季があるのは、気温の変化があるからこそ。
 今年の梅雨はなかなか明けなかったが、それがまた趣きを感じる。朝昼夜と気温の差が激しいが、それはまるで一日のなかにも四季があるかのやう。空気は巡り動いて生命を輝かす。暦もさう。日本人が二十四節気などを大切に重んじるのは、そんな空気の振動や変化を敏感に捉へられてきたからなのだらう。心模様も、繊細に日々変化してゆく。身体だけではなく、心にも熱がある。
 一般の方から時々受ける質問の一つに、神社に奉仕する人はみんな霊感や五感が強くないといけないのかと。確かに神職になると五感が研ぎ澄まされてゆくのは、事実だと思ふ。仲間の神職さんも皆それぞれに個性があって、誰しも繊細なのだ。神社界ではない方とお仕事をする機会が多くなればなるほど、この感覚や共通認識の重なりが、当たり前ではないのだと、浄明正直の基本姿勢が身に付いてをられる方と御一緒するとすぐにわかる。
 嬉しかったり恥づかしくなったりすると、人間の体温は上昇する。逆に悪い予感がする時、悪寒が走る、寒気がするなどと、頭ではなく身体が反応して教へてくれる。とても単純で素直な感覚……。ここに生きる力の源を感じる。
 先日、ある御縁の深い神社にお参りしてゐた時のこと。御神前に手を合はせて、今までのこと、これからのことを感謝申し上げ、心静かに瞳を閉ぢてゐた。すると、言葉では何とも表現し切れないのだが、ふはぁ……っと背中が暖かくなり、大いなる存在に包まれ、自分の身体が軽くなったやうな感覚に陥った。隣の人が私の肩を叩いた。目を開けると、その人は後方を指差した。するとそこには、今まさに御本殿のなかへと向かって参進してくる浄衣姿の斎主以下祭員が列をなしてゐた。そんな折に触れるとは予期してゐなかったから、余計に驚き、まるで本当に神様がお渡りになられてゐるかのやうな道すぢを感じて、心に込み上げるものを抑へられなかった。美しかった……。あの時の温度をきっと私は一生忘れないだらう。
 禊の際に、水に入る前に鳥船神事をする。これは身体を温めておくことも一つの目的だといふ。道彦さんに合はせて、真剣に身体を動かし声を出してゆくと段々と体温は上昇してゆく。しかしこれは、単に身体の動きによるものだけではないやうに感じる。己の気が上昇する時、神様の気配がそこに重なってゐるのではないだらうか。
 神様のお姿は目には見えないけれど、確かに温度や熱となって現れていらっしゃる。私はさう感じてゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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