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論説 令和初の終戦の日 次世代に如何に伝へるか

令和元年08月26日付 2面

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の八月十五日、東京・九段の靖國神社には約五万人が参拝し、英霊に感謝の誠を捧げた。また折しも日本列島を直撃した台風十号の影響により一部で取り止めになった地域があったものの、全国各地の護国神社などにおいても慰霊式典等が執りおこなはれ、多くの参拝者があった。
 東京・日本武道館では政府主催の「全国戦没者追悼式」が天皇・皇后両陛下御臨席のもとに執りおこなはれ、安倍晋三首相ら三権の長をはじめ戦歿者遺族らが参列した。
 今上陛下には御即位後、初めて同式典で「おことば」を述べられた。陛下には、これまで同式典で「おことば」を述べてこられた上皇陛下のお考へを踏襲せられつつ、平成二十七年の式典以降に加へられた「深い反省」といふ表現をお使ひになられた上で、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。
 今年、「全国戦没者追悼式」に参列を予定した遺族は約五千四百人。戦歿者の配偶者は五人と過去最少で、戦歿者の子が全体の半数を占める約二千七百人、孫が約四百五十人ほど、曽孫は百四十人となってをり、マスコミ各社の報道では遺族の代替はりがいよいよ進んでゐるといふ指摘が目立った。



 大戦の終結から七十四年が経過した今年は、明治二年に明治天皇の思召しにより靖國神社の前身である「招魂社」が創建されてから百五十年の節目にあたる。明治七年、同社に御親拝遊ばされた明治天皇には、「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」と詠まれ、その後、明治十二年には靖國神社と社号が改められた。
 神社界ではこの節目にあたり、靖國神社や護国神社への参拝を勧奨してをり、この日も若者を含め多くの参拝者の姿があった。例年、靖國神社の参道で開催されてゐる「戦歿者追悼中央国民集会」終了後には、五回目となる「靖國の心を未来へ!感謝の心をつなぐ青年フォーラム」もおこなはれ、多くの若者が参加してゐた。また國學院大學で開催されてゐる神職養成講習会の受講者らの参拝もあった。とりわけ直階の受講者は高校を卒業して間もない若年層が多い。次代の斯界を担ふ神職の卵たちの心には、この日の靖國神社の光景がどう刻まれたのだらうか。



 「終戦の日」に関しては、降伏文書調印の日や主権恢復の日などとする主張も根強いが、政府見解では「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が御親ら玉音放送を通じてお示し遊ばされた八月十五日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、天皇・皇后両陛下の御臨席のもと毎年「全国戦没者追悼式」が開催されるなど、終戦の象徴的な日となってゐる。
 その終戦から七十四年が経過し、元号が昭和から平成に、さらに令和へと移り変はるなかで、「戦後」の定義や認識をめぐる議論もなされて久しい。先の大戦の歴史を語るうへで、メディアが真っ先に報じてきたのは戦争の悲惨さである。どのメディアも挙って当時の軍部の暴走や、政府の終結判断の遅れ、時の指導者の戦争責任などに言及してきた。
 一方で靖國神社に参拝したことのある多くの人々から聞かれる感想の多くは、境内にある遊就館にて接した「英霊の言の葉」などに感銘を覚え、そして涙した経験談である。国に殉じた尊い誠の心を後世に伝へていく営みを、我々は蔑ろにしてはならない。



 遺族の代替はりは、言ひ換へれば、先の大戦の記憶を次世代に如何に伝へていくのかといふ課題に繋がるといふ指摘が常になされる。もちろん創建百五十年を迎へた靖國神社については先の大戦以前の歴史もあり、それらを踏まへて語り継いでいくためには、さまざまな側面からの検証や分析、実証的かつ徹底的な史的検討が必要なことはいふまでもない。そのうへで我々神社人として、どのやうに歴史と、そして先の大戦と向き合っていくべきかを考へていかねばならないだらう。もとより我々が護り伝へるべきことのなかで最も重要なのは、英霊の慰霊と顕彰のための「みたまなごめのまつり」であるといふことを忘れてはならない。
 改めて慰霊と顕彰の意義に思ひを馳せる令和初の終戦の日である。

令和元年八月二十六日

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