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杜に想ふ 大事にしない 涼恵

令和元年10月07日付 5面

 物事が思ふやうに進まない時、皆様はどのやうに過ごされていらっしゃるだらうか。次から次へと予期せぬことが起こり、事情が複雑に絡み合ってしまふ。かう展開してゆくだらう……と思ってゐた自身の目論見が外れて気が付けば問題が大きくなってしまったやうに感ずる。
 でもそれは、相手あってのこと。自分一人ではないからこそ問題が起こる。考へ方によっては、ありがたいこととも言へる。人それぞれの主義主張があり、皆一様に善かれと思って意見を述べる。それを文句ととるか、助言ととるかで次の動きが変はってくるやうに思ふ。言ってみれば大事は一つ一つの小さい事の積み重ねで形成されてゐる。まづは丁寧に断片的に捉へてみる。細部にわたって注視する。そこには、あらゆる立場や階層のなかで築き上げられた価値観が存在してゐる。人それぞれの主義や主張の奥には真実や理由がある。
 時に参拝者からの御指摘や苦情を受けることもあるが、対応する神職の言葉や態度で神社の印象は大きく変はることがあるだらう。
 個人的な話で恐縮だが、今、大きなプロジェクトを抱へてをり、多くの人々の意見が交錯する現場にゐる。これで問題なく進んでゆくといふ手応へを感じても、誰かの一言によってその勢ひは消え、新たな方向性が見え出して、なかなか思ふやうには進まない。そんななか、不平不満を漏らす人も当然出てくる。そんな時、意識してゐることが一つある。
 随に、の精神。人事を尽くして天命を待つとも言ふべきか。個人では限りがあることばかりだから、日々やるべきことをやった後は、神様にお任せする。自分一人で考へない。答へを急がずに、時とともに解決してゆく感覚。大きいことほど、ゆっくり育つ。
 それはまるで自然の摂理と同様。潮の満ち干きのやうに、寄せては返す波のやうに状況の変化がある。時には一度手放してしまふことで、失ふものと残るものとがはっきりする場合がある。かと思へば、もはや人智を超えた大いなる意志とでもいったやうなものが働いてゆく場合もある。不思議なもので、さういふ時はするするっとうまく事が進む。
 自分の場合、問題が挙がってきた時に、対処しようとする姿勢には、幼い頃から経験してきた家族会議が活きてゐるのだと感ずる。案外、夜通し話してみると、結局ものすごく単純なことから問題になってゐたことが明らかになり、大したことなかった、なんて、朝になると笑へることがしょっちゅうだった。
 小さな誤解が問題を招いてしまふ。大事に潜む些細な出来事にこそ、ヒントがあったりするもの。家族だからこそ言ひ合へることもあったらうと思ふのだが、その時学んだ感覚は、まづ相手の立場になって共感すること。単純だが、ここから解決の道が始まることがあるのだと思ふ。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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