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杜に想ふ 内裏と赤子 植戸万典

令和元年10月28日付 5面

 畏くも主上にあらせられては、めでたく御即位の厳儀を遂げ給ひ、巷には日の丸と共にとりどりの万歳の声があがったことだらう。三十年前にあった極左暴力集団への懸念も、令和度には薄らいでゐる。そこには社会情勢の変化もあるが、平成から二代に亙る至尊の御起居が「天皇」を現代人にも滲透させたのだと思へば、僭越だが感慨も一入だ。勿論、未だ反天皇制を標榜する党類も残るが、彼らのその表現すら不自由でないのも、陛下のおはす日本が成熟した社会であるからに相違ない。
 一昔前まで、戦前は日本にとって「天皇」が特殊な時代であったやうに評価されることが多かった。明治政府が国民国家のために喧伝した、江戸期の庶民は天皇なぞ知らなかったと実しやかに説かれることもしばしば。さうした面が全く幻想とは云はないが、庶民にもその時代ごとに彼らにとっての「天皇」があって、そこは徳川時代も変はらない。
 かう云へるのも、ここ二十年の史学研究の成果があるからだ。光格帝の御代の御所御千度参りをはじめ、演劇文化に見られる天皇など、江戸期の一般民衆が天皇に無関心だったとは云ひ難いことが明らかとされてきた。
 なかでも、新帝即位の儀式は京の町衆にも関心事だった。『遊楽としての近世天皇即位式』(森田登代子著)に詳しいが、江戸期を通じて庶民は即位式の見物が許可されてゐた。粛然と拝する者もあれば、喧嘩も含む遊楽と見紛ふ光景もあったとか。総じて、即位式といふ最上級の行事であっても庶民は忌避されず、どころか共に寿ぐ祝祭であった。
 対して現代、我々一般国民が江戸期の庶民のやうに即位礼をその場で共に寿ぐことはない。寧ろその様相は、平成度からの新儀である祝賀御列の儀が近い。一般参賀でも、敬慕の念を募らせた尊王家もゐれば、東京観光の一環の御婦人もゐる。来るパレードも同様に、奉祝と遊楽が渾然となるだらう。
 即位礼と同日の予定だったその祝賀御列の儀も、直前に列島を襲った台風の深刻な被害を受け、急遽延期された。国民の被災に御心を痛めてをられるといふ禁裏の思召しは有難く、だからこそ、我々赤子が陛下と共に挙って御即位を祝福するため、儀式の延期は英断だったと存ずる。
 御千度参りでは、困窮に喘いで蝟集した数万の民の救済をと、院や帝、公家衆らが尽力した。これが朝廷の自立心を高め、尊王運動に繋がり、御一新を生んだ、と結論するのは歴史を些か単純化し過ぎかも知れないが、内裏が万民と苦楽を共にしてきた歴史がこの事件を起こしたのだ、とも考へられまいか。そして令和の御代、国民の艱難を憂慮した即位儀式の一部延期といふこの一幕もまた、後生の史家が繙き論ずる歴史の一頁とならう。
(ライター・史学徒)

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