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論説 即位礼正殿の儀 大御代の長久と繁栄を願ふ

令和元年11月04日付 2面

 天皇陛下におかせられては、十月二十二日午後一時、宮殿・松の間の中央に舗設された高御座にお昇りになり、御即位のことを内外に宣明された。
 立纓の御冠に黄櫨染御袍を召され、剣璽を案上に置かれて、天皇陛下には力強く御即位を宣明されるとともに、「国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」との「おことば」をお述べになられたのである。
 わが国の三権の長や各界代表者、百九十一の国や国際機関の外国要人などを含め、参列者は約二千人にも及んだ。まさに日本と世界の内外に向けて御即位のことを宣明されたのである。その「おことば」に続いて安倍晋三内閣総理大臣が寿詞を奏した後、万歳三唱がおこなはれ、これを合図に礼砲二十一発が鳴り響いた。時恰も朝からの強い雨が上がって薄日が射し、大きな虹が立ち東京の空を彩った。さうした様子は、まさに新しい御代を祝福するかの如くで、感動の一瞬であった。

 今回の即位礼は、上皇陛下の御譲位にともなひおこなはれた。第百十九代・光格天皇の御譲位以来、約二百年振りのことであり、さまざまなことが心配されたがおほむね順調に取り進められてゐる。
 ただ、直前に来襲した台風十九号は、中部、関東、東北の広範囲に豪雨をもたらし、日に日に被害の詳細が報道されるなか、稀にみる大災害が発生してゐることが判明してきた。多くの国民が被災し、日常生活もままならない状況となってゐる。さうしたこともあり、即位礼正殿の儀に引き続き予定されてゐた祝賀御列の儀(祝賀パレード)は、十一月十日に延期された。
 「おことば」に示された上皇陛下の「いかなる時も国民と苦楽を共にされながら」を鑑とされ、「国民に寄り添ひながら」といふことを早速に御実行なされたともいへよう。祝賀御列の儀の延期は、そのやうにも受け取れる措置であったと思はれる。

 それにしても世界各国の要人がこれほど多く参列して祝意を表したことは、洵にありがたいことである。世界の国々とそれぞれ友好的な外交関係を築いてきた成果ともいへるが、皇室あってこその外交でもある。
 そして圧巻であったのは、平安時代の中期にわが国独自のものとして成立した束帯や五衣・唐衣・裳といふ装束姿により、儀式がおこなはれたことである。千年以上に亙る伝統が、儀式のおこなはれる間、松の間に満ちた。幕末の孝明天皇の即位式までは、礼服といふ装束だった。礼服は、千三百年前の昔に唐から伝はった装束である。当時の国際儀礼を受容し、そのまま踏襲して幕末に至ったのだ。これを明治天皇の時に束帯といふ和風装束に改めたのである。
 また今回の改元に際しては、元号を漢籍からではなく、わが国の古典『万葉集』から採った。日本の新しい時代が始まってゐる、と言ってよいのではなからうか。

 来月には皇位継承儀礼のなかで最も重要な大嘗祭が予定されてをり、皇居東御苑には大嘗宮が建設されてゐる。皇居を取り囲んで近代的な高層ビル群が立ち並ぶなかに、黒木や蓆を用ゐた神殿が建設されるのである。その神聖な悠紀殿・主基殿において天皇陛下には、純白の御祭服を召されて皇祖・天照大御神と相対されて、神膳を親しくお供へされ、国家の安泰や国民の幸せ、五穀豊穣などへの感謝と祈りを捧げられる。神膳に使用される器は、枚手と呼ばれる柏の葉でできた丸皿で、そこに米と粟の御飯をはじめ海の幸・山の幸の数々を供へられる。
 それは即位式よりさらに古い時代に起源する儀式であって、古来連綿と続く天皇の「国やすかれ民やすかれ」との祈りの世界でもある。その後、御直会と称して天皇も御飯と白酒・黒酒を共食される。さうした様子は、神話世界の再現ともいへるだらう。
 今上陛下の祈りは、御歴代の祈りと重なり、最初に天降った皇孫にまで遡る。それは「無私の祈り」の伝統であり、さうした祈りによって令和の新しい御代が始まるのだ。しかも太古まで遡る神話世界が根柢で支へてくれてゐるのである。御大礼が滞りなく執りおこなはれることとともに、令和の大御代の長久と繁栄を心より願ひたい。

令和元年十一月四日

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