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論説 霜月の祭り 信仰・神学的な再検討を

令和元年11月18日付 2面

 十一月は斯界にとって、七五三詣や新嘗祭の時期として位置付けられるが、その他いくつもの祭事がおこなはれてゐる。金属関係業者や火に関係する産業の人々が執りおこなふ「ふいご祭り」や、都内近郊などで盛んになってゐる「酉の市」などをその例として挙げることができる。
 これらの祭事は、太陰太陽暦の旧暦十一月におこなはれてゐたものを、明治初年の太陽暦(新暦)採用の後、新暦十一月に時期を移して続けられてゐるものである。それゆゑ本来は旧暦十一月・仲冬の行事として位置付けられてゐたものが、晩秋から初冬の行事としておこなはれるために、その内容が少しく変はったものもあるだらう。旧暦十一月は冬至を含む月として位置付けられてをり、一年のうちで昼が短く夜が長い時期である。そして冬至を過ぎれば次第に昼の時間が長くなっていくことから、「再生」「復活」を象徴するやうな思想のもとに営まれてきたことなどのなかには、新暦採用にともなふ時期のズレによって、本来持ってゐた意義がいささか変化してしまったものもあるのではなからうか。

 今年は大嘗祭が斎行されるため、十一月二十三日の宮中新嘗祭は執りおこなはれない。これは当然のことで、御即位後初めて新嘗聞し召す神事が大嘗祭として執りおこなはれるのであり、結果として宮中新嘗祭は斎行されないこととなる。
 そして各神社における新嘗祭について、宮中での新嘗祭に合はせておこなはれるものとして広く認識が共有されてゐれば、大嘗祭の年に斎行しないこととなるのも明白であらう。だが新嘗祭の斎行日が新暦採用にともなひ収穫直後の時期に移り、新穀感謝祭としての意義がより大きくなるなかで、「大嘗祭の年は新嘗祭を斎行しない」といふ論理が理解されにくくなってゐるともいへよう。
 戦後の産業構造の変化もあり農業従事者が極端に減少する昨今、そもそも新穀感謝といふ意識の稀薄化も危惧される。季節の変化を感じつつ暦を参考にして農作業の時期を知り、また農事に関はる年中行事をおこなふやうな営みや、時候の挨拶などを大切にしてきた生活の尊さを見直したい。

 新暦の採用にあたり、祭典日をそのまま新暦の日付に移行した祭事・行事は、第二・三次産業に関はるものが多いやうに感じられる。ふいご祭りは金属産業などの工業が中心であり、酉の市は商売繁盛を祈るものである。第二次・三次産業は第一次産業の農業などよりも季節に依存することが少ないことから、祭典日の移動を比較的容易におこなふことができたのである。
 七五三詣も同様であり、広く十一月十五日の行事としておこなはれてきたが、現在ではその日付に拘らず家庭の事情等により自由に日程を選んで行事をおこなふ風潮が見られる。これは子供たちの成長祝賀を家庭内の私的行事とのみ捉へ、地域共同体への参加といふ公的な面を軽視する傾向を反映した結果との指摘もある。すなはち、祭事・行事をあくまで私的なものと位置付けることを進歩的と認識し、宗教・信仰的なものを個人的行為としてのみ考へようとするものである。

 即位礼に伴ふ儀式行事、そして大嘗祭とその後の関連する行事は極めて公共性の高いものであり、いはゆる極端な政教分離に拘る立場からの反対論も出る。しかしながら、わが国における歴史的な信仰形態は、個人的なものだけではなく公共的な側面が個人や家庭を超えて地域と密接に結びつき、さらに地域における祭祀が国家的な広がりを持つものともなってきた。
 宗教によっては、現世を否定して地域社会からの離脱を目指すことや、体制打破のための教へを説かうとするものもあろう。しかし、わが国ではそのやうな考へ方ではなく、地域・国家の中での関係性を重視し、移りゆく季節の中で日々生業に勤しみつつ、過誤等が生じれば祓ひ清めるといった営みを続けてきたのである。
 令和の御代を迎へ、即位礼・大嘗祭を拝する時、この十一月におこなはれる祭り・神事・行事のそれぞれが持つ意味を改めて見つめ直し、自らの信仰そして神学的観点から奉仕内容を再検討し、その結果を実践していくことが我々の務めであるといへるのではなからうか。
令和元年十一月十八日

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