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杜に想ふ 一片一枝 八代 司

令和元年12月16日付 5面

 天皇陛下には、大祀「践祚大嘗祭」に続き、神宮、また各山陵への御親謁、宮中三殿奉告と一連の御大礼の諸儀式を終へさせられた。テレビや新聞で拝する諸儀式に皇室を戴く日本人であることのよろこびをあらためて感じつつも、平成の御大礼時にはなかったインターネットの普及や、情報番組で映し出されるお手を振られる両陛下のお姿を携帯電話のカメラで一心に撮影する多くの国民の姿に少し考へさせられる。「菊のカーテン」とも称されてゐた時代とは隔世の感に堪へない。
 さて、大嘗宮の一般公開の参観を以前より予定してゐたのだが、つい先日、日頃お世話になってゐる宮司さんをお訪ねした際のこと。宮司さんが参宮された折、偶然に居合はせた青森県神社庁の御一行が、恒例の伊勢神宮新穀感謝祭に、熱田神宮参拝と大嘗宮参観を組み合はせ「三種の神器」を拝する旅程とされてゐたとのことを聞き及んだ。なるほど、それならばと私も急遽これに倣はせていただかうと、早朝に出発して神都・伊勢で皇大神宮を拝し、神宮徴古館と皇学館大学の神道博物館では特別企画展をそれぞれ拝観。そして夕闇の静けさのなかに玉砂利を踏み、熱田神宮の大前を拝して、一路、東京へと向かった。
 途上、大正・昭和両度の御大礼で殿内調度舗設に関する調査の任に与った出雲路通次郎氏の著書『大礼と朝儀』、そして先日、生田神社に御無理を申し上げ頂戴したばかりの加藤隆久名誉宮司御所蔵の江戸時代末期の「大嘗祭由加物雑記私図」を復刻された『絵図に残された即位礼と大嘗祭』を携へての移動は、調度を描いた数々の極彩色の絵図に心沸き立ち、暫しの程、千古の姿を想ふ一時ともなった。
 翌朝、皇居では松の翠と赤黄に色付いて目に鮮やかなオホモミヂやイロハモミヂを左右に、古くは紅葉山との美称もなるほどのことと一人頷きながら、乾通りより進み東御苑に設けられた大嘗宮を参観させていただいた。
 黒木鳥居や柴垣、壁に挿された椎葉の「和惠」に古儀を想ひ、かたや諸般の事情により鉄骨造りに白帆布張りとなってしまった膳屋と斎庫や悠紀主基両殿の板葺き屋根の向うに超高層ビル群の乱立が見えたのは時の流れとは言へ些か複雑な心境でもあった。
 その後、國學院大學博物館の企画展「大嘗祭」を拝見。素晴らしい所蔵品のなかでも取り分け気になったのは、約二百八十年前、元文三年におこなはれた櫻町天皇の大嘗祭で屋根に葺かれてゐたとされる萱と萩の枝の一部。その小指にも満たない程の大きさのものだが、包み紙には「大嘗宮萱萩」とあり、「あふけ彼(仰げ彼の) 天照神の御社の 軒はふきたる萱と萩の枝」と記されてゐた。
 和歌を添へた古人の風雅さとともに、時を超えて一片一枝の萱と萩を令和の御代に伝へてきた崇高さにあらためて大嘗祭の深遠なることと、本義を踏まへつつも守り伝へることの大切さと難しさを想った。
(まちづくりアドヴァイザー)

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