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杜に想ふ 言葉の記憶 山谷えり子

令和2年03月02日付 5面

 このところたて続けに、神社で“美しい日本語を学ぶ活動”や“素読学習”をおこなってゐる方々にお会ひした。
 日本の精神性を見つめ直したり、ネット社会の中で言葉の乱れが進んでゐることへの憂ひなど、活動にはさまざまな理由があらうが、神社といふ場の清らかさの中で親子、あるいは祖父母と孫が喜びにあふれて学ぶ様子をビデオなどで見せてもらって感銘を受けた。
 昭和天皇の御製「悲しくもたたかひのためきられつる文の林をしげらしめばや」や、孟子の「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずまづその心志を苦しめ、その筋骨を労しめ、その体膚を餓ゑしめ、その身を空乏せしめ、その為さんとするところに払乱せしむ」などを読み合ふ姿は、聞いてゐるだけで体に震へがきた。国柄や道の体得にも大きな力となると思へた。私も孫が六歳の頃、論語や百人一首、二宮金次郎の言葉などを共に素読したことをなつかしく思ひ出した。
 国語教育の基本は、幼少期に言葉の受容レシーバーを大きくしておくことにあらう。現在、小学六年生の授業全体に占める国語占有率は二割弱で、詩や文章の暗誦などには多くの時間を使はない。近年の脳科学の研究では素読が脳の働きのうへで有効とされることが明らかになり、幼少期の言葉の記憶が豊かであれば、表現力、情緒の豊かさ、人間関係の構築力にもつながっていくといふ。
 わが家では私と孫とで、半年間ほど素読に取り組んだが、孫はその間に百人一首を八十首ほど覚え、意味をどのくらゐ理解してゐるかは定かではないが、九歳になった今でもだらしなくしてゐる時に「仁義礼智信」「積小為大」「報恩感謝」とかけ声をかければ、ピリッとした顔になり背筋を伸ばすので、何やらは伝はってゐるのかもれない。
 幼児教育無償化の最初の発想も、よく学び、よく遊び、よく愛された幼児は、感じる心が豊かになり、それが生涯の基盤となって、人間関係や仕事の中に生き甲斐を見出し、幸福度の高い人生を送れるやうになるといふ研究成果からの政策決断であった。
 この原点を忘れ、幼稚園や保育園がタダになったと喜んでゐるだけでは実に心もとない。家庭で地域で心を育てる言葉を学び合ふ場をもっと意識的に作らないと、バーチャル世界の力に負けて“ひと”らしさが失はれていってしまふだらう。
 鎮守の杜で美しい言葉を学ぶ機会が増えていくことは日本らしい豊かさの再興になると思ふ。言葉は愛が外に出たもの。貧困の格差ばかりが声高に語られるが、美しい言葉体験の格差こそ深刻な問題だともっと語られていいのではないだらうか。
(参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長)

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