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杜に想ふ 不安定を認める 涼恵

令和2年03月09日付 5面

 平常心。子供の頃から母親に身に付けなさいとよく言はれて育ってきた。にも拘らず、この身は何かことあるごとに一喜一憂しては心に波が立つ。幾つになってもまだまだ幼い自分に弱ってしまふ。
 先日、こんな言葉を目にした。「平常心―不安定を認める。安定から飛びだす。不安定の中にいられる」。
 一瞬ドキッとした。平常心とは安定した心の状態をイメージする自分がゐたのだが、不安定のままで良いのか……、それを認めることが平常心に通ずるのか。私の心は軽くなってゐた。すぐに波打つ心に、安定など程遠くて、感じることを止められない自分に嫌気がさす日もあったのだが、実は不安定である状態が平常と言へるのかもしれない。
 一つの言葉が浮かんできた。元気とは元の気。車でいふとニュートラルの状態だらうか。現代ではまるで、アクセルをブィーンと吹かすやうなところに“元気!”といふイメージが強いが、さうではないのだ。生まれたまま、あるがままの状態ですでに元気をいただいてゐる。なんてありがたいことだらうか。ニュートラルの状態からギアを入れて曲がり道も
でこぼこ道も進んでゆける。
 そんなイメージが湧いてきて、友人のジャンベ(太鼓の一種)奏者にこのことを語ったら彼は深く頷きかう言った。
 「まさに同感だね。とくに原始的な楽器はごまかしが効かない。環境によってサスティン(残響音)が全然変はってきてしまふ。壁の質感やその日の湿度によって表現できる幅が違ふ。その状況を認めて、柔軟に捉へる。あぁ、今日はかうなのね。心の持ち方でさらに音が変はってゆく。それが面白い」。
 平成元年と平成三十年の新卒社会人各千人を対象にした仕事観に関する調査で、これから成長しさうな新しい企業と安定した大手の企業どちらで働きたいかとの問ひに、どちらの年も七〇%近くが安定した企業を選択したさうだ。根強く残る安定志向と変化を避ける傾向が若者にはあるといふ。現代人は安定や安心を日常に求める傾向が強いと言へるだらう。リスクを避けようと始めから無難な道を選んでしまひがちなのかもしれない。
 しかし安定を外に求めるより、己の内に見出すことのほうがより心を豊かにしてくれるやうに感じる。無理に安定させようとするのではなくて、不安定を受け入れることで、恐れも不安も昂揚も喜びも自分の心の揺れとして認め、その振り幅を知ってゆく。自分が何に感じてゐるのかを自分が捉へてやることで、その中庸を知ってゆくのだらう。
 時に脈も心音も生きてゐるからこそ、波形に乱れが生じる。それこそが生きてゐる証なのだ。
 つい先日、思ひ悩むことがあり恩師に助言を仰いだら、迷はず掛けられた一言は「平常心」だった。なんだかやけに嬉しかった。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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