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杜に想ふ 日本書紀〇〇千三百年 植戸万典

令和2年03月16日付 5面

 本邦最初の正史『日本書紀』も満千三百年。史学専攻としては往古の国家的修史に思ひを馳せ、改めて歴史に対し襟を正す年としたい。
 ただ気軽に「千三百年」と云ふが、具体的には何が基点の数字なのか。構想か、起筆か。『古事記』と異なり序跋もない『紀』には、その成立事情が詳しくない。これは第二の正史『続日本紀』に記されてゐる。
 『続紀』養老四年(七二〇)五月癸酉(二十一日)条に曰く、「是より先、一品舎人親王、勅を奉けたまはりて日本紀を修む。是に至りて功成りて奏上ぐ。紀卅巻系図一巻なり」と。大業の割に素気ない記事だが、これがすべてだ。「是より先」とは、『紀』の編纂が単年度事業でなかったから。天武紀の十年(六八一)三月丙戌(十七日)条に「天皇……帝紀と上古の諸事を記定めしめたまふ」とあり、通説では編纂もこの頃から始まったとされる。
 現代でも史料の編纂は長期に亙るが、初の国史は四十年を要した。すると、巷間よく「編纂千三百年」と云はれ、まあ編纂完了と考へればさうだが、「今年」といふ点に拘るなら期間全体も含む言葉よりさらにピンポイントな語の欲しくなるのが史学徒かつ売文屋の性といふもの。瑣末事ばかり気になるのは悪い癖だ。
 歴史学では、用語においても史料に基づくことを旨とする。当然、多彩な表現のなか言葉を整理し、研究上の造語もするが、それでも同時代の語彙、史料の字句は尊重される。『紀』研究でも所謂「郡評論争」はその象徴的な例だが、紙幅もないので贅言は止さう。
 これは史料を盲信することではない。その点は『紀』にも通底してゐる。『紀』は矛盾もあるが、諸説併記の神代紀からも歴史への真摯な姿勢は窺はれる。かうした先人の姿に赤誠を以て稽古照今することも周年記念の意義ではないか。何でも千三百年に託けて持て囃し、消費されゆく世間の話題に便乗して関心を買はうとの魂胆なら、歴史を都合好く利用してゐるだけとの謗りは免れまい。精々キリの良い番号を踏んだことに終始しよう。
 閑話休題。今年は何の周年と云はうか。無論「成立」も良い。ただ些か興趣に欠ける。後代の正史は序文などで自ら「撰」としたので「撰進」も捨て難いが、やはりここは史学徒らしく原点に立ち戻り『続紀』の記事を重んじたい。国史を学ぶ者ならまづ押さへる『国史大辞典』も「養老四年……完成、奏上」とする。辞書も万能ではないが、知の遺産の尊重もこの佳節に必要な誠実さだらう。
 ちなみに間々使はれる「撰上」の語は、他に用例は見えなくもないが、先学の叡智『日本国語大辞典』や『大漢和辞典』も採ってゐない言葉だ。この分野は素人だが、いったいどうした事情なのか、実に興味深い。
(ライター・史学徒)

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